なぜ心神喪失者を許せないのか /新潟青陵大学 碓井真史
はじめに
法を犯した者は罰せられます。だから、私たちは安心して暮らせます。仇討ちをしなくても我慢もできるでしょう。しかし、例外があります。その一つが、心神喪失者です。刑法39条には、「心神喪失者の行為は罰しない」とあります。 【図表】「心神喪失」と「心神耗弱」 心神喪失者はなぜ罰を受けないのか。先日「THE PAGE」にも、分かりやすい解説が掲載されました(「容疑者の「刑事責任能力」とは 心神喪失者はなぜ無罪? /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語」)。しかし、寄せられたコメントのほとんどは、「理屈は分かるが納得できない!」というものでした。 裁判所のホームページには、責任能力のない心神喪失者に関して、次のような解説があります。「これらは、近代刑法の大原則の一つである「責任なければ刑罰なし」(責任主義)という考え方に基づくもので,多くの国で同様に取り扱われています」。 責任がなければ罰しないという近代刑法の考え方とは別に、私たちは近代以前から精神的正常を失った人の罪を許してきました。時代劇で登場するセリフのように「殿、ご乱心」となれば、重い規則破りをしても切腹は免れます(失脚はするでしょうが)。このような「乱心者免責規定」と呼ばれる習慣は、世界各地の文化で大昔から見られることです。心神喪失者を罰せずに許すのは、私たち本来の自然な発想なのかもしれません。しかし現代の日本では、多くの人が疑問を感じています。それは、なぜなのでしょうか。
心神喪失者を許せない理由
1 応報感情 悪いことをした人は当然報いを受けるべきだ。罰を受けるべきだという感情です。当然の感情ですが、たとえば幼児などの弱者の行為なら、一般の大人と同じように罰せよとは感じないでしょう。 2 被害者への同情。被害者保護の思い 被害者や家族の思いを考えれば、加害者は報いを受けるべきだと感じるでしょう。被害者保護は当然必要です。ただ残念ながら、刑法自体は被害者保護のための法律ではないようです。加害者への刑罰以外にも、被害者保護の方法を考えなければなりません。 3 厳罰化への傾向 様々な犯罪に対する厳罰化の傾向があります。その中で、心神喪失者が無罪というのはバランスを欠くように感じるかもしれません。 4 治安悪化への不安 法律で罰することができない危険な人物が野放しにされることへの不安もあるでしょう。ただ、重罪を犯して心神喪失で無罪になる人はほんのわずかです。また、精神保健福祉法や医療観察法に強制的な入院について規定があります。ただし、刑法による判決とは別の話になるので、納得しにくい部分もあるでしょう。 5 精神鑑定への誤解と不信 たしかに、鑑定人によって精神鑑定の結果が異なることがあります。精神鑑定は、指紋鑑定やDNA鑑定ほどには、明確なものではありません。そこで、簡単に鑑定人をだまして心神喪失者のふりができるのではないかと考える人もあるでしょう。しかし、数ヶ月に渡って専門家をだまし続けることは簡単なことではありません。また精神障害者であれば全員が心神喪失や心神耗弱とされるわけでもありません。 6 精神鑑定乱用への疑惑 有罪ならば極刑が考えられるような場合、弁護側の法廷戦略として精神鑑定が使われているのではないかという疑いです。これは現実にあるかもしれません(『精神鑑定の乱用』井原裕著)。反省と是正が必要でしょう。 7 公正さへの思い 私たちは公正さを求めます。心神喪失であれ何であれ、「平等」に罰すべきだという人もいるでしょう。しかし同じ触法行為でも、状況により罰は異なるのが「公平」でしょう。どのように差を付ける公平さが「公正」なのかが問題です。