【全日本大学駅伝】3大会連続の区間賞に挑戦、出走を重ねるにつれて変化した意識 駒澤大・山川拓馬はアンカーに登録
1年時の全日本大学駅伝で鮮烈な3大駅伝デビューを飾り、翌年はアンカーとして4連覇のフィニッシュテープを切る――。駒澤大学の山川拓馬(3年、上伊那農業)は伊勢路とともに、自身の成長を示してきた。上級生として、チームを引っ張る立場にもなってきた今年にかける思いを聞いた。 【写真】1年時の全日本で区間賞デビューを飾った山川拓馬、現主将の篠原倖太朗に襷をつないだ
出走を重ねるにつれて、変わってきた心境
「自分は基本的に寒いときよりも、暑いときの方が得意。しかもアップダウンがある方が、走りやすいんです。今の自分にとっては、全日本が一番ちょうどいい距離なのかなと思います」。初出走時から、2年連続の区間賞。抜群の相性を誇る伊勢路の印象を尋ねると、山川はこう答えてくれた。 ただ、出走を重ねるにつれて、心境も変わってきたと言う。 1年時は4区を任され、当時の主将を務めていた山野力(現・九電工)からトップで襷(たすき)を受けた。2位の順天堂大学とは38秒差、3位の早稲田大学とは41秒の差があった。「仮に自分が多少外してしまっても、後ろには田澤(廉)さんがいて『絶対に後半で何とかしてくれる』という安心感がありました。あと『ここで自分が区間賞を取って、後ろとかなり差が開いたら面白いな』と。ワクワクしながら走ったところもありました」 走る前は緊張もあったが、「その区間に選ばれたということは、もう走るしかない。駒澤らしい走りをしなきゃ」と腹をくくった。後ろから追いかけてくる同学年の早稲田大・山口智規(3年、学法石川)に「負けたくない」という気持ちも後押し。区間賞の走りで5区の篠原倖太朗(4年、富里)につなぎ、チームは独走態勢を築いた。 そこから1年後。山川は19.7kmの最長区間、最終8区を任されるランナーになった。鈴木芽吹(現・トヨタ自動車)から襷をもらった時点で、2位とは3分近くの差が開き、山川はさらにその差を広げた。笑顔でフィニッシュテープを切ったが、「昨年は自分の中で、あまりいい走りではなかった」と振り返る。
「ドタバタした走り」から「反り腰の改善」へ
前回の全日本が終わったあたりから、体に異変を感じるようになった。「MRIを撮ったとき、左側の恥骨に真っ白い影ができてしまっていました」。それでも、だましだましに何とか練習を積み、年始の第100回箱根駅伝のときには違和感も消えて「大丈夫だろう」と4区を走り始めた。だが、4秒先にスタートした青山学院大の佐藤一世(現・SGホールディングス)との差が、なかなか縮まらなかった。 「最初は落ち着いて走ると決めていたんですけど、10kmぐらいからいつも以上に力が出なくて、ちょっとおかしいぞと。自分があらかじめ考えていたプランと別の形になってしまって、そこに対応できなかったです」。佐藤との差は逆に広がった。総合2位で終えた箱根駅伝後、改めてMRIを撮ったら両方の恥骨が真っ白になり、腸腰筋の軽い肉離れも発覚した。 これまでは駅伝を走った後、治療で体のバランスを戻して、また走るということを繰り返していた。ただ、それにも限界があった。そこで今年の箱根駅伝後は、縁もあって日本コンディショニング協会で体のバランス改善の指導を受けるようになった。 「体の左右差がひどい状態でした。筋肉量も左と右でだいぶ違ったり、骨盤が右上がりになって重心が真っすぐでなく、足の長さが左と右で1cm以上違ったり……」。山川の場合、筋肉量は左の方が多いにもかかわらず、その左の方が使えていなかったという。「まずはハーフポールを使って、体をリセットさせるところから始まりました。座ったときや立ったときの状態を写真で撮って、『こっちの肩が下がっている』と知って、そこにアプローチするフィジカルトレーニングをしていました」 コンディショニングを重ねることで、自分の中で走りも変わってきた。「今までの練習では腰がきつくなることがあったんですけど、それが無くなりました。無理やり進むというよりは、体の構造を知って『この筋肉を使って走る』と意識することで、練習後の疲労の残り具合が変わりました」。私たちが見ても分かるところはありますか、と聞くと「反り腰がだいぶ改善されてきていると思います。今まではドタバタしているような走りだったので」と教えてくれた。