「イスラム国」樹立宣言から1年 IS掃討作戦は進んだのか?
過激派組織「イスラム国」の樹立宣言から約1年が経過しました。「イスラム国」掃討作戦の現状について、米オバマ大統領は6日、「長期にわたる作戦だ」との認識を示し、シリアでの取り組みを強化する方針を示したと報じられています。この「国」を巡る情勢は、どうなっているのでしょうか。この「イスラム国」(以下ではISとして言及しましょう)をめぐる情勢を概観しましょう。
■イラクでの情勢
まずイラクの情勢は一進一退です。3月にイラク中央政府軍が昨年以来IS支配下にあったティクリートを奪回しました。これはスンニー派の都市です。しかし、5月には首都バグダッドから西に百キロメートルにあるラマディがISに奪われました。このように軍事情勢は、勝ったり負けたりです。しかし、一年前にイラク第二の都市モスルを占領した直後の勢いは、もはやISにはありません。当時は首都のバグダッドが危ないのではないかとの認識すらあったからです。 アメリカにとってのイラクでのIS対応の柱は、五本です。一に空爆、二にイラク中央政府軍の立て直し、第三にスンニー派部族の抱き込み、第四に北部のクルド人の民兵組織ペシュメルガの強化です。そして最後の第五はイランとの「協力」です。 まず第一の空爆は限定的な効果しか上げていません。なぜでしょうか。それは空爆が限定的だからです。数にして一日に十数派です。湾岸戦争やイラク戦争時の何百派に比べるとケタが落ちています。 第二のイラク中央政府軍の強化は、遅々として進んでいません。特に指揮官のレベルが低いのです。昨年のモスルでも、そして5月のラマディの戦闘でも指揮官が兵士を置いて先に逃走してイラク中央政府軍は敗北しました。 第三のスンニー派部族の懐柔も進んでいません。駐留していた2011年まではアメリカ軍が、スンニーは部族の若者十万人程度を民兵として雇用し、過激派と戦わせていました。アメリカ軍撤退後にイラク政府は、こうした若者を解雇しました。再度、こうしたスンニー派部族の協力を得ようとしているのですが、一度見捨てられた経験のある部族は、簡単には戻ってこないでしょう。 第四の柱はクルド民兵の強化です。クルド人は勇敢ですが、問題は重火器を持っていない点でした。ですからクルド人の軍事力の強化が一番容易そうです。しかし、問題は、その後です。力が余りに強くなれば、クルド人がイラクからの独立するのではないかと懸念されるからです。 第五の柱はイランとの協力です。イランの支援するシーア派の民兵組織をアメリカ軍が空爆しないようにとったレベルでの協力が行われています。しかし、これ以上の緊密な協力にはイランとアメリカ両国で政治的な抵抗があります。