大リーグで見直し論浮上の申告敬遠を日本プロ野球は導入すべきか
印象に残る敬遠暴投は、1982年の大洋(現在横浜DeNA)対阪神の開幕戦で、阪神の故・小林繁が二死一、三塁から投じたサヨナラ敬遠暴投だろう。今季も5月のヤクルト対阪神戦で、7回二死二、三塁でヤクルト・ルーキの敬遠球が暴投となり決勝点になっている。 一方、敬遠ボールを打った劇的な試合もいくつかある。 1981年には日ハムの柏原純一が西武戦で敬遠ボールをホームランに。1990年には巨人のクロマティが対広島戦の延長で敬遠ボールをライトオーバーのサヨナラヒットにしている。まだ記憶に新しいのは、1999年の阪神対巨人の延長戦で、当時、阪神の新庄剛志が、槙原寛己の敬遠ボールを三遊間に強引に引っ張った、サヨナラ敬遠ヒットだろう。 何年かに一度、あるかないかのレアケースではある。ただ、敬遠にアクシデントが絡むと、勝敗に直結するドラマになる。そういう試合の細やかな心理戦や駆け引きが大好きな日本の野球ファンの感情からすれば、何かが起きる“宝くじ”のような可能性は残してもらいたいのではないか。そういう野球文化は、大リーグのファンと明らかに違う部分でもある。 里崎氏がむしろ問題視するのは、その導入理由である。 「時間短縮が理由だとすれば、それほど効果は期待できません。年間、敬遠の数は、そこまで多くありません。逆に来季からは、リプレー映像を使った日本版のチャレンジ制度が導入されますよね。メジャーのような映像確認システムの整っていない日本では、抗議があれば現場で審判団が映像を確認することになりますから間違いなく時間がかかります。しかも敬遠と違ってチャレンジ権利は、両球団は必ずといっていいほど可能な限り回数を使うでしょうから、平均試合時間が、これまでより長くなることは避けられないでしょう。そういう部分を考慮すると、時間短縮のために申告敬遠を導入するという理由は苦しいものに感じます」 大リーグ同様、「申告敬遠」で時間短縮が見込まれないのならば、万に一つのドラマが起きる可能性を消しさる意味は、どこにあるのだろうか。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)