"日本一走るアナウンサー"長谷川朋加、グラビア初挑戦の舞台裏を公開!「グラビアのオファーは最初『何かの間違いかな?』と思いました」
NHK山形放送局、四国放送、福島テレビでアナウンサーとして勤め、四国放送時代にハマったマラソンで国内外を転戦する〝日本一走るアナウンサー〟長谷川朋加(はせがわ・ともか)が、このたび初めて10月28日(月)発売『週刊プレイボーイ46号』でグラビアに挑戦。その姿、まさにヘルシー&セクシーの化身につき。 【写真】長谷川朋加の初挑戦グラビア * * * ■1日平均13㎞以上走るアナ ――「日本一走るアナウンサー」のキャッチコピーで活動中の長谷川さんに、今回、初めてのグラビアに挑戦していただきました。 長谷川 最初のオファーは編集さんから、インスタのDMで来たんですよ。「何かの間違いかな?」とも思ったんですが、打ち合わせ場所の指定先が集英社だったので、大丈夫かなと思って行きました(笑)。 ――グラビアと聞いて、率直にいかがでしたか? 長谷川 自分が考えるアナウンサーの仕事の選択肢の中にまったくなかったもので。不安がなかったわけではないですけど、今回挑戦しなかったら、この先、一生挑戦する機会がないかもしれない、と考えたときに、やってみようと。 ――水着の撮影もありましたが、肌を見せることに対する抵抗感はありませんでした? 長谷川 そうですね、恥ずかしさより好奇心のほうが勝っていました。現場ではモニターで写真を見せていただきながら撮影をして、本当にプロフェッショナルの皆さんに力を尽くしていただいて感謝しています。 撮影も、朝から千葉のスタジオまで行って、15時くらいまで撮っていたんですけど、体感的には一瞬でしたし、「こんなに時間をかけて撮ってもらえてありがたいな」という思いでした。 ――何か発見はありました? 長谷川 おなかに力を入れているつもりだったのに全然入っていなくてぽよんとしてるなとか(笑)、かなり腰をひねっているつもりなのに全然だったりとか、翌日に筋肉痛になっていたりとか、今までは想像できていなかったモデルの皆さんのすごさを改めて感じました。 ――でも、ランナーとして鍛えているだけあって、素晴らしいスタイルでした。マラソンは四国放送時代に仕事がきっかけで始めたとか。 長谷川 当時24歳だったんですが、番組でよくある、若手のアナウンサーがマラソンに挑戦するというような企画で、本番の2週間前にプロデューサーに言われて、とくしまマラソンに出ることになったんです。 そのときは「準備期間が2週間しかないし、もし完走できなくても大丈夫だよね? 面白そうだしやってみよう」くらいの気持ちで、実際にリポートをしつつ途中歩いたりしながら5時間半くらいかけてフルマラソンを完走したんですけど、道々、自分の祖父母くらいの年齢の方々にどんどん抜かれるわけですよ。 「仕事頑張りや~」とか声をかけていただいて、70歳とか80歳とかになっても生き生きと楽しめるマラソンってすごいな、って衝撃を受けまして。「私もこんなふうに若い人に憧れられるおばあちゃんになりたい」と思って、そこからは趣味で走るようになりました。