王子は眠る王女で子供を作り… フィクションに描かれる「眠る女性に対する性加害」は取り締まるべきか
薬で眠らせた妻を50人以上もの男にレイプさせ、その様子を夫が撮影していた──「マザン事件」として知られるフランスのこの事件の報道を受けて、戦慄した人は多いだろう。 妻を薬漬けにして50人の男にレイプさせた夫が撮影した「衝撃の動画」公開 「眠る女性を犯す」描写は、古くから世界中で繰り返されてきた。フィクションにおける同意なき性的行為を、いまこそ捉え直すべきかもしれない。
侵犯される女性の眠り
神話の世界で、神々はしばしば眠っている女性につけ入ろうとする。 眠りの神ヒュプノスはその力で眠りを誘い、ゼウスは白鳥に変身して意識を失ったレダを誘惑した。ディオニュソスは、テセウスによってナクソス島に置き去りにされたアリアドネが眠っているときに、その美しさに魅せられた。 あるいはメリュジーヌのような妖女たちにとって、眠りは無防備な状態を意味する。そして興味深いことに、ヒュプノスの兄弟は死の神タナトスだ。 対照的に、神話のなかの女性たちが男性の眠りを妨げることは許されない。 たとえばプシュケは、その姿を確認しようと眠っている夫にこっそり近づくが、実は夫が愛の神エロスであることを知ってしまう。結果、プシュケは自分の好奇心のせいで罰を受け、冥界に行ってペルセポネから美を盗むなど、数々の危険な試練を課されることになる。 これらの神話から着想を得た文章や絵画の多くは、見る者に、全能の男たちの欲望に満ちたまなざしを通して、眠る女性を見つめるよう働きかけてくる。
眠る王女で子をもうける王子
『眠れる森の美女』では、ある王国に生まれた王女が妖精たちからたくさんの贈り物を受ける。ところが、ひとりの魔女にかけられた呪いにより、王女は紡ぎ車の針で指を刺し、100年の眠りにつくことになる。 この童話の最古のバージョンとされる15世紀の『ペルスフォレ』や、イタリアのジャンバティスタ・バジーレが書いた『ペンタメローネ』(1634年)所収のバージョンでは、眠っている王女に魅了された王子がその状況を利用し、王女が意識を失っているあいだに子供をもうける。 『ペルスフォレ』の王子は、最初こそ「理性」と「分別」によりその行為をためらうが、最終的には目の前の美女に対する欲望に負けてしまう。王女は、生まれた双子の片割れに指を吸われて初めて目を覚ますのだ。 シャルル・ペロー版(1697年)では、導かれるように森へ入った王子が王女を見つける。そこで目を覚ました王女と王子は会話を交わし、恋に落ち、子供をもうける。しかし、王子はすぐには結婚を公にしようとしない。 やがてふたりは王子の国に帰るが、王子の母である王妃は人喰いで、王女と子供たちを食べようとする。つまり若い女性は、たとえ同意しても危険と無縁なわけではない。 グリム兄弟版(1812年)とディズニーのアニメーション映画では、王子は眠っている王女に同意なしでキスをする。やがて目覚めた王女と王子は結婚するが、それは王女のあらゆる夢の実現として描かれる。 ブルーノ・ベッテルハイムの『おとぎ話の精神分析学』によれば、眠りは思春期の魂の形成に必要な時間を象徴している。クラリッサ・ピンコラ・エステスの『狼と駈ける女たち:「野性の女」元型の神話と物語』をはじめとするユング派の解釈によれば、心理学的な観点から見ると、眠っている状態はトラウマの抑圧を表している。 しかし、果たしてすべての読者や鑑賞者が、こうした解釈の比喩的側面を理解しているのだろうか? 何より、彼らは人を強制的に眠りにつかせることがトラウマを引き起こす可能性を認識しているだろうか?
Sandrine Aragon