先生のことは大好き…学校で「荒れる子ども」のタイプに変化、どう向き合うか? 対話を続ける教員の姿を、教室の全員に示して
指導をぶれさせることなく、学校全体として明確な線引きを
古田氏がCDRを提唱したときには、「隔離すること」に対してよくない印象を抱く教員もいた。だが実際の効果によって、その評価も変わってきた。 「お仕置き部屋のようなイメージは学校全体でかなり薄れてきていて、最近は子どものほうから『落ち着きたいからCDRに行きたい』と言い出すこともあります。また、不登校の子どもが一度ここを経由してから教室に行く、といった使い方もされるようになりました。見えない部屋の中から興奮した子どもの叫び声が聞こえるのですから、最初は周囲が戸惑ったのも当然だと思います。しっかり説明や研修を行いましたが、子どもや教員にいちばん響いたのは、CDRを出る子どもの表情が明らかによくなっていったことだと思います」 古田氏が目指しているのは「自分がいなくても問題ない環境」であり、誰が実践しても効果が出る体制と方法の継承だ。 「教員個人の存在は、子ども自身の成長の陰で、溶けてなくなってしまっていいと思っています。子どもが特定の教員の言うことしか聞かないのでは意味がない。問題行動のある子どもの指導を自分の成果と考えるのではなく、学校全体の知見としてやり方を譲り渡していくことが大切なのです」 そのためには、指導をぶれさせることなく、つねに明確な線引きを示すことが必要だ。例えば「あの子は家庭が複雑だから」「まだ春先だから」と対応を変えたりすることは、この線引きを曖昧にする言い訳になってしまう。これは教室が荒れやすい長期休暇後についても同じことが言える。「夏休み明けだから仕方ない」などというその場しのぎの行動は、子どもからの不信感を生むだろう。 だが、今日はその子を落ち着かせ、きちんと対話に導くことができたとしても、明日はまた「死ね」と言われるかもしれない。終わらない指導にどんな希望を持って臨めばいいのか問うと、古田氏は穏やかにほほ笑んだ。 「私もサポートのない状態で担任を務めてきたので、先生方の大変さはよくわかります。でも対話の姿勢を持ち続ければ、『死ね』という暴言の回数や、CDRを出るまでの時間は確実に減っていくはずです。子どもは駆け引きもするしずるさもありますが、それは人間の本質であり、きっと自分にもそういうところがあると思えば日々勉強になります。悩むこともありますが、私はやっぱりこの仕事が嫌いではないんだなと感じます」 (文:鈴木絢子、注記のない写真:Graphs / PIXTA)
東洋経済education × ICT編集部