ジェフ千葉のJ1昇格に全力を注ぐ米倉恒貴のサッカー魂はどうやって培われてきたのか
でも結局、それも自分の実力だから。若い頃は、それをわかっていても、自分が試合に出られない状況に『ああ、つまんねぇ!』ってなることもあったし、自分が試合に出られていないのにチームが勝つことにどこか複雑な感情を覚えていたりしたけど、今は違う。これは周りの仲間、若い選手に教えられたことでもあります。だって、本当にみんながチームのために黙々と戦い続けているから。 メンバーに入れなかったとしても、チャンスがくることを想定して絶対に準備を怠らないし、それぞれが自分の持ち場でチームのための戦いを続けている。だから今年のジェフは、大きなケガ人が出てしまったなかでもブレずに戦ってこられたし、だからこのチームで、昇格したいんだと思う。今はそれしか考えてないです」 ◆ ◆ ◆ 2007年、生まれ育った地元のクラブ、千葉で始まったプロキャリアを語る前に、それ以前のキャリアを少し辿ってみる。「相当の努力家だった」と自負するアマチュア時代だ。 「子どもの頃から両親にも指導者にもずっと努力が大事だと言われて育ったせいか、『努力に勝る才能はなし』という言葉を心から信じていました。何より自分には天才と呼ばれる選手のような巧さはないと自覚していたからこそ、練習するしかないと思っていました」 なかでも、中学生時代に所属したFC千葉なのはなジュニアユースでは、人生が変わったと言いきれるほど刺激的で濃密な時間を過ごした。 「なのはなはもともとジュニアチームしかなかったのに、僕らが中学生になるタイミングで、(チームを率いる)渡邊和典監督がジュニアユースチームを作ってくれたんです。メンバー的には地元の集まりみたいなチームだったんですけど、渡邊監督にはいつも『プロになるために』という話をされていたことで、プロサッカー選手になることを、より現実的に意識するようになった。 (渡邊監督は)もうめちゃめちゃ厳しくて、めちゃめちゃ怒られましたけど、無名のチームが高円宮杯全日本ユース選手権(U-15)で3位になれたのも、自信に変わった出来事でした。今になって思えば、人として大事にすべきことを含めて、ピッチの内外で教えられたことのすべてが今の自分の礎になっている気がします」 それは、小学生時代から八千代高校時代まで同じチームで育った幼馴染み、山崎亮平(栃木シティFC)の存在も含めてだ。今でこそ「あいつの才能に嫉妬していたと本人にも伝えられるくらい大人になった」と笑う米倉だが、当時はそれを認められず、ライバル心を燃やし、成長の糧にした。 「高校時代までいろんないい選手は見てきたし、ましてや高校時代にU-19日本代表に初めて選ばれたときも、秋(倉田/ガンバ大阪)とか香川真司(セレッソ大阪)、遠藤康(ベガルタ仙台)ら、サッカーIQが高くて、何をやらせても巧すぎる! という選手はたくさん見てきました。