新体育館計画は知事3代に渡り立地場所が迷走、ようやくこぎ着けた入札は参加ゼロ 知事は“新たなブレーキ”にどう向き合う?〈知事の一問一答あり〉
鹿児島県の新総合体育館整備は15年余りにわたり、立地場所や構想自体が二転三転してきた。塩田康一県政になって入札にこぎ着けたが、資材や労務費の高騰を背景にした不調という新たな形でブレーキがかかった。計画の見直しは避けられず、関係者からは「着地点はあるのか」とため息が漏れる。 【写真】県体育館を巡る主な経緯を、歴代知事の在任期間と合わせて表で分かりやすく
入札を締め切った27日午前11時過ぎ、県議会本会議場にいた塩田知事らは落ち着かない様子だった。休憩中に不調を知ったからだ。県幹部の一人は「長い時間と労力をかけて入札にたどり着いたのだが。忸怩(じくじ)たる思いだ」と唇をかんだ。 ■2度目のDP跡 現在の県体育館が完成したのは1960年。老朽化や手狭さが指摘されてきた。当初2020年の予定だった鹿児島国体(23年開催)をにらみ、新設論議が加速した。 伊藤祐一郎知事時代の08年、県庁東側での新設を表明したのが皮切り。多目的機能を持たせるとして、鹿児島港本港区のドルフィンポート(DP)跡地に変更する構想を打ち出したが、急な方針転換に批判が集まり撤回に追い込まれた。 その後の三反園訓県政で県工業試験場跡、県庁東側と移ろい、20年就任の塩田知事が仕切り直して再びDP跡に落ち着いた。立地が改めて争点となった今夏の知事選も制し、入札を迎えた。
■街づくりに波及か 事業費313億円-。物価高の基調を踏まえて県が算定した額だ。県内外の事業者でつくる2グループが応札に意欲を示していた。関係者によると、雲行きが怪しくなったのは最終見積もり段階の8月。業者側から「設備工事費が高騰している」と県に連絡が入った。 情報は県内政界にも広がり、「見通しが甘かった」「物価高で生活が苦しい中での事業費増は認められない」(複数の県議)との声が出る中での不調。塩田知事は増額をはじめ、機能、規模、民間資金を活用した整備・運営手法を見直す可能性に言及した。 またも迷走するのか。早期整備を要望してきた県屋内スポーツ競技団体の長井忠道事務局長(78)は不調を残念がりつつも「規模を縮小する事なく事業を進めてほしい」と注文。一方、お膝元である鹿児島市の幹部は29年に予定する開業の遅れを懸念する。「周辺を含め土地をどう使うかが変わってくる。場合によっては、街づくりも見直さないといけない」