病床で書きとめた詩集、批評家ならではの容赦のない抒情―加藤 典洋『大きな字で書くこと/僕の一〇〇〇と一つの夜』橋爪 大三郎による書評
没後出版された晩年のエッセイ集と私家版詩集が、合本で文庫になった。読めば魂が揺さぶられる。 加藤典洋氏は若い頃、小説の才能があった。≪君の本質はそれ/小説を書いたこと/でもその後書きつげなかったこと≫(「僕の本質」)。批評家に転じた氏が、病床で書きとめた詩集が『僕の一○○○と一つの夜』である。 “私の代わりに/私のパジャマが吊されている/上半身と下半身は別にされて/…/針金のハンガーにかけられ/…/並んでいる (「パジャマと私」)” “今夜は鯖のミソ煮/妻がレシピを見ながら作ってくれる/私が所望し/妻が受け入れた/鯖のミソ煮がどんな出来か/それは作られてみなければ誰にも/わからぬ (「鯖のミソ煮」)” 戦後の現代詩の気取った決まりをすべてかなぐり捨てた、容赦のない抒情がそこにある。批評家ならではの詩情。 こんなに素直に、そして切実に、言葉を紡ぐ機会が生涯に幾度あるだろう。その機会があったとして、誰がその任に堪えるだろう。解説は荒川洋治氏。≪加藤さんの文章は、いつもとてもきれいで、…ぱっと、明るいのだ≫。同感である。哀悼。 [書き手] 橋爪 大三郎 社会学者。 1948年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。執筆活動を経て、1989年より東工大に勤務。現在、東京工業大学名誉教授。 著書に『仏教の言説戦略』(勁草書房)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)、『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『社会の不思議』(朝日出版社)など多数。近著に『裁判員の教科書』(ミネルヴァ書房)、『はじめての言語ゲーム』(講談社)がある。 [書籍情報]『大きな字で書くこと/僕の一〇〇〇と一つの夜』 著者:加藤 典洋 / 出版社:岩波書店 / 発売日:2023年03月15日 / ISBN:4006023502 毎日新聞 2023年4月15日掲載
橋爪 大三郎
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