自分にあった趣味の選び方。趣味を始めるなら「適性がある」ものを。それは、「才能」だけでは不十分で…
あなたは「趣味は何ですか?」と聞かれて、堂々と答えられる趣味がありますか?「今は忙しいけれど、時間ができたらやりたい趣味がある」、という方も多いのではないでしょうか。多数の趣味を持つ作家・国文学者の林望さんは、「趣味は本気で取り組むからこそ楽しくなり、思いがけない自己実現にもつながる」と語ります。そんな林さんの著書『結局、人生最後に残る趣味は何か』より一部を抜粋して紹介します。 【書影】「趣味は本気で取り組むからこそ楽しくなる」多数の趣味を持つ作家・国文学者の林望さんが伝える『結局、人生最後に残る趣味は何か』 * * * * * * * ◆自分の「適性」にあった趣味を選ぶ ところで、人にはそれぞれ「適性」というものがあります。趣味を始めるなら、適性があるものを選ぶに越したことはありません。 適性は才能に近い言葉ですが、才能が「生まれつきの優れた能力」だとすると、適性にはもうすこし幅広いニュアンスが含まれます。 単に得意というだけでなく、それをしている時間が楽しくて寝るのも忘れてしまう、ずっとやっていても苦にならないというのが、適性があるという証拠です。 私自身の適性を振り返ってみると、真っ先に思い浮かぶのは絵を描くことであり、とにかく子どもの頃から絵を描くのが大好きでした。 文章を書くのも小学生の頃から好きで、小学校の学級新聞などにせっせと小説のような文章を書いていた記憶があります。 また、これは一人の楽しみだったのですが、なにか空想の動植物などを考え出して、その形態や生態などを百科事典的に書いて楽しむ、なんてことを小学生の頃には飽きることなくやっていました。 あの頃のそういう作文が残っていたら、ちょっと面白いものだったと思うのですが、残念ながら何度かの引っ越しを経て、すっかり無くなってしまいました。 そんなわけで、いったん文章を書き始めると止まらずに、いくらでも書き続けることができたのですから、これはやはり文章を書くということが私の適性にあっていたのだろうと思います。
◆「特性」のあるなしは明確に 世の中には趣味で文章を書くために、カルチャーセンターで「エッセイの書き方講座」などを受講するという人がたくさんおられますが、私にはそのようなことを思ったことが一度もなく、そもそも文章を習いたいという感覚が、正直なところよくわかりません。 勉強にも適性があったように思います。勉強する前は「あーやりたくないな」とか「嫌だな」という気持ちになるのですが、実際に始めると次々に興味が連鎖していって、しまいには寝食を忘れて没頭してしまいます。 自分の子どもや孫を見ていても、特性のあるなしは明確に分かれます。 息子には全く絵心がなく、いつまで経っても五歳の幼児のような絵を描いていたのですが、同じ親から生まれているのに、娘のほうは小さい頃からなかなか面白い絵を描いていました。 そうして、ついにはロンドン大学のゴールドスミス芸術学校でアートを専門に学ぶようになりました。 孫たちのなかにも、同じようにピアノの先生について習っていても、全員が同じようには進歩せず、どんどん先へ進んでいって、演奏にもなにかセンスが感じられるという子と、なかなかそうでもない子といて、やはりそこは適性があるかないかという違いが感じられるところです。 すると、適性のある子は、上手に弾けるのが楽しいから、たくさん練習する。たくさん練習して上手になるのが自分でも実感できるから、さらに練習する。 先生や周りの大人たちからも褒められるから、さらに練習して上達するというサイクルに入っているのが傍目に見ていてもよくわかります。
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