データ不足が問題なのに「血液検査はかえって不安を」と後ろ向きな環境省。PFAS対策の「戦略」はどこへ
「血液検査はかえって不安を」と後ろ向きの環境省
そうしたなかで、方向性が明確に示されたのは血液検査についてだった。環境省は委員に事前に示した「対応の手引き」修正案に「地域住民の健康不安への対応」という項目を新たに加え、こう記していた。 <血液検査については、かえって不安が増す可能性がある> <血液検査を受けた人の精神的な面を含めたフォローの手法が確立されていないなどの多くの懸念点が指摘されている> 不安に思う人がいるならば、対象を希望者に限ればすむことではないか。アメリカのATSDR(有害物質疾病登録局)では、汚染が発覚した地域では血液検査をするよう医師に推奨している。 それでも、環境省は、血液検査はすべきでないとの立場をあらためて打ち出したのだ。 また、血中濃度がドイツの公的機関やアメリカの学術機関の定める指標を上回った場合について、 <必ずしも健康障害が起こるとも限らない> <将来、健康影響が発生することを意味しない> と強調し、そのうえで、 <これまでに行われた特定健診やがん罹患情報などの統計から地域の健康影響の傾向を把握できる> と結論づけた。汚染地域のデータは不要だ、と宣言したに等しいだろう。
なぜか「汚染されていない地域では検査」
会議では、原田浩二委員(京大准教授)が手を挙げた。 「血中濃度によってどのような健康影響があるかわからないのは確かですが、血中濃度によってどれくらい曝露(摂取)したかを知ることに意義があるのはでないでしょうか」 一方、新田裕史委員(国立環境研究所名誉研究員)は慎重論を唱えた。 「疫学研究というのはしっかりした設計のもとで、どのような要因とどのような結果に関連があるかを考えて進められるもの。(「対応の手引き」に)安易に書くべきではない」 しかし、環境省は、全国の汚染されていない地域では血液検査(化学物質のヒトへのばく露量モニタリング調査)を行っており、対象を大幅に拡大するとしている。汚染がないところでは測り、汚染されているところでは測るべきでない、というのは自己矛盾ではないか。 曝露量を知ることにまず意義がある。原田委員はあらためてそう繰り返したうえで、「対応の手引き」を修正するとしたら消極的な書きぶりにすべきではない、と釘を刺した。 これを受けて、環境省の担当者がマイクを握った。 「消極的に書こうとは思っておりません。科学的に正確に、誤解のないようにと思っています」 血液検査に科学的な意味はない、とあてこするような表現だった。 データをとらないだけでなく、汚染を放置するかのような姿勢もうかがえる。