思わず言葉を失った意外過ぎるクルマ 40選 後編 どうしてこんなコトを…
ホンダ・インサイト(1999年)
トヨタ・プリウスと並んで、初代インサイトは最初期のハイブリッド車の1つだ。ホンダは世界を驚かすというよりも、化石燃料の使用を可能な限り減らすことに真面目に取り組んだ。 【写真】世界に衝撃を与えた日本車【ホンダ・インサイト、NSX、レクサスLFAを写真で見る】 (51枚) 空気抵抗の点ではトヨタよりも進んでいた。ドラッグの少ないフォルムと後輪の一部が覆い隠されたデザインは、改めて考えると驚異的なもので、ホンダの歴史上最もクレイジーなクルマと言っても過言ではない。
リンカーン・ブラックウッド(2002年)
リンカーンは1917年に設立され、1922年にフォードの高級車部門となった。どの時代においても、ピックアップトラックを作るというアイデアは突飛に思えたはずだし、場合によっては激しい反論を受けたことだろう。 2002年、高貴なリンカーンがフォードFシリーズをベースとしたピックアップトラック、ブラックウッドを発売したとき、歴代のリンカーン幹部は墓の中でひっくり返ったはずだ。残念なことに、ブラックウッドは失敗に終わった。リンカーンは2005年にもマークLTで再挑戦したが、こちらも成功とは言い難い。
フォルクスワーゲン・フェートン(2002年)
評論家は、「国民車」を標榜するメーカーが、ごくわずかな人しか買えない高級車を生産することを大いに皮肉った。アウディA8と似たようなプラットフォームをベースにしているが、素材はアルミ製ではなくスチール製である。高級セダン市場で「長い歴史を持つ競争相手に遠く及ばなかった」と我々は報じたが、おそらくそれ以上に大きな問題は、欧州の消費者がゴルフやポロと同じエンブレムに尻込みしてしまったことだろう。 しかし、フォルクスワーゲンの名誉のために言っておくと、フェートンは14年間にわたって生産が続けられ、その後ひっそりと姿を消した。また、つい最近になって2代目が計画(中止)されていたことが明らかになった。
シボレーSSR(2003年)
1911年の創業以来、シボレーはカテゴリーをまたぐような型破りなクルマにあまり手を出してこなかった。SSRは例外中の例外だ。レトロなスタイルのハードトップ・コンバーチブル・ピックアップトラックの販売は歴史的に低調であったにもかかわらず、シボレーは果敢にも挑戦した。 1947年から1955年まで製造されたアドバンスト・デザインのトラックとどことなく似ているが、スモールブロックV8(当初は5.3L、後に6.0L)のパワーはまったくもって現代的。しかし、消費者はSSRに購入理由を見いだせず、2006年モデルを最後に廃止となった。