粟生隆寛 プロ初黒星の中で得た自信、バレラとのスパー経験と「勇気」が生んだ待望の世界奪取…後編
WBC世界フェザー級王者オスカー・ラリオス(メキシコ)とのタイトル戦から一週間が経った時だ。やっと冷静に試合を振り返れる時間が訪れた時、粟生は「あれっ」と思った。そして心の中でこうつぶやいた。「俺って多少打たれても大丈夫かも。倒れなかったもんな」。10回にラリオスのパンチに一瞬、膝を落とした。だが、致命傷にはならずに絶えることが出来た。「確かにこれまで受けた中では一番強いパンチでしたが、これなら大丈夫」と、粟生の中に確かな自信が芽生え始めた。 「プロになってアマより小さい8オンスのグラブになったんですが、相手のパンチがどれぐらい自分にダメージを与えるのかが、全く分からないまま世界戦のリングに上がったんです。自分がパンチを当てて相手を倒しても、相手のパンチはそれまでまともにもらった経験がなかったんです。ラリオスとパンチの交換をして、試合には負けましたが、自分にもけっこうパンチに耐えられる力があることが分かったんです」 粟生は確かに勘がいい。上体を柔らかく前後左右に動かしパンチを避ける。そのテクニックがあったからこそ、打たれ強さは未知数だった。「もしかしたら打たれもろいのかも」と、負の想像を巡らし、むやみやたらに打ち合う事を避けていたのも事実だ。アマ時代は10オンスのグラブに当時はヘッドギアを着けていた。「相手のパンチを受けてもまったく効きません」と言い切れたが、プロの世界で欲しかった答えがようやく出た瞬間でもあった。 陣営の交渉が実りラリオスとのダイレクトリマッチが決定する。雪辱の舞台を前に粟生は「2戦目は自信しかなかった」という。その裏付けになったのが「あの時の経験を思い出したんです。バレラとのスパーです。あれがあったからラリオスには一切、恐怖は感じなかった。あの経験がリマッチの時にいきたんです」。粟生は2度に渡り元世界3階級制覇王者マルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)のスパーリングパートナーを務めるためにメキシコに渡っている。粟生のトレーナーでもある田中繊大が一時チーフトレーナーを務めていたバレラは、当時世界の軽量級でトップの地位を築いていた。6階級制覇王者のマニー・パッキャオ(フィリピン)と2度に渡り対戦しているが、いずれも粟生はスパーリングパートナーを務めている。最初はプロデビュー戦を終えたばかりの2003年の秋だ。 「リングで向き合った瞬間、初めて恐怖というものを感じました。アマでもそれなりの成績を残してプロの世界のトップはどんなものなのかと楽しみにしていたんです。普段は優しい人なんですが、リングに入ると性格がひょう変するんです。ゴングが鳴った瞬間『あ~、もう無理』と思いました。ライオンの檻(おり)に放たれたうさぎです。動くサンドバックでした」と、倒されないようにひたすら我慢する3分間の連続を経験。そして、こう付け加えた。「あのスパーは試合を何試合するよりも本当に、本当に自分のボクサー人生の貴重な時間になりました」と。 初挑戦から5か月後の2009年3月12日、ラリオスとの2度目の対戦のゴングが鳴った。 「第1戦は序盤、足を使って、後半ずるずるいってしまった。次はどんどん前に出て打ち合ってやろう、ひと皮向けないと世界は取れない―。スタイルチャンジして臨んだ一戦でした」 その言葉を証明するように、序盤からアグレッシブな姿勢を貫いた。最終12回にはダウンを奪い、採点では最大12ポイント差がつく圧勝で雪辱を果たした。小学校の卒業文集に書いた「世界チャンピオンになる」という夢を現実のものにした。わずか5か月という短い期間で技術的なものが飛躍的に成長した訳はではない。自分の甘さに気付き、確かな自信を胸にリングに上がったリマッチの舞台。アマ時代の貯金が通用しないことも知り、心技体の心を部分に「勇気」を加えプロ仕様にできたことも王座奪取の要因となったはずだ。 フェザー級で防衛はできなかったが、スーパーフェザー級でも世界のベルトを手にすると3度の防衛に成功。2020年3月に引退を発表すると同時にトレーナーとして第二の人生をスタートした。那須川天心、岩田翔吉、藤田健児、村田昴、中野幹士、齋藤麗王の世界ランカー、地域王者、日本ランカーといった有望選手を担当している。粟生がプロ入りした当時、高校卒業後に入門してボクシングをスタートする選手が多くを占めていた。時代は変わり、今では高校、大学のトップアマからプロ入りする選手が主流になりつつある。粟生が受け持つ6人もキックボクシング王者から転向した天心以外は、すべてがアマでの優勝経験を持つ選手たち。その姿は二十数年前の自身とダブる。 トレーナーとして奥深いテクニックを身につけさせるのは当然だが、同時に強いメンタルを植え付けることは可能なのか。自身の体験を前提に質問すると、間髪を入れず、答えが返ってきた。「気持ちの部分? そこは本人の持ちようです」と笑った。トレーナーとしての使命感にも燃えている。6人のプロには皆同じ思いでミットを持ちパンチを受けている。「教えている以上、世界チャンピオンを育てたいし、みんなを世界チャンピオンにしなければいけないと思っています。みんなそういう素質を持った選手たちですから」。支えられる側から支える側へとステージを移した2階級制覇王者は、一度失敗したからこそ世界を取る難しさ、厳しさを知っている。近い将来、天心らに訪れるであろう世界の舞台。何を伝え送り出すのだろうか。(近藤 英一)=敬称略、おわり= ◆粟生 隆寛(あおう・たかひろ) 1984年4月6日、千葉・市原市生まれ。父の指導で3歳からグラブを握り小学校4年でジムに通い始める。千葉・習志野高では史上初の高校6冠を達成。2003年9月に帝拳ジムからプロデビュー。天才的なカウンターパンチで白星を重ね2007年3月に日本フェザー級王座を獲得。2009年3月にWBC世界フェザー級王者オスカー・ラリオス(メキシコ)を2度目の挑戦で破り、世界王座を獲得。初防衛戦で敗れスーパーフェザー級に転向。2010年11月にWBC世界同級王座を獲得し日本人7人目の世界2階級制覇を達成。3度の防衛に成功した。2020年3月に現役引退を発表。身長169センチの左ボクサー。戦績は28勝(12KO)3敗1分 け1無効試合。
報知新聞社