アジアン・ヤング・ジェネレーション~香港(4)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
そういう土壌は、なにもせずに、自発的に、自然に湧いて出るようなものではない。われわれG2P-Japanが、パンデミックの渦中に、日本の基礎ウイルス学研究の底上げを図るために、モチベーションを共有して、力を合わせて泥臭く走り続けたことと、図式としてはおそらく同じである。問題はそれを、どのようにして持続できるか、という点にある。 そしてレオはこう続けた。 「大事なことのふたつめとしては、一般市民の記憶だが、これは意外と失われないものだ。新型コロナの発生当初、香港では、政府からのアナウンスや要請は特になにもなかった。それでもほとんどの市民が、自発的にマスクをつけるようになった。これは、20年前のSARSの記憶が、香港市民の中に残っていたからだ」 思い返せば、この年の7月、タイのバンコクに出張した時のことを思い出した(12話)。香港と同様、H5N1鳥インフルエンザとSARSの記憶を持つバンコクの市民も、病院地域にいるひとたちは、灼熱の屋外でも不織布マスクを着け続けていた。 ――はたして日本では、新型コロナパンデミックという「経験」は、どのような形の「教訓」をもたらすのか。それはまだ誰にもわからないが、いずれにせよ、SARSとCOVID-19という、ふたつの大きな感染症有事で中心的な役割を果たした当事者の言葉は重い。
■東アジアの亜熱帯の喧騒の記憶 香港の夜の喧騒を歩いていると、初日の夜のヒンの熱弁「ヤングジェネレーション万歳!」から、アジアン・カンフー・ジェネレーション(アジカン)が想起されたことをふと思い出した(76話)。 そしてそこから不意に、大学時代につるんでいた「隣人の会(42話)」の友人たちと、卒業旅行で台湾に行ったことがフラッシュバックした。それは2005年3月のことで、SARSアウトブレイクの2年後にあたる。酔っ払った当時の私(たち)は、やはり夜の喧騒の中で、なぜかみんなでアジカンの曲を大合唱しながら、台北の街を練り歩いたりしていた。 東アジアの亜熱帯の夜の喧騒に紐づいた記憶が、あるバンドの、ある曲とともに想起される。 2005年の台湾と、2023年の香港。時も場所も違えど、20年近くも隔たれた記憶が、音楽と空気感から想起されるというのはなんとも趣があるものだな、などと思ったりもした。 東アジアの喧騒に関連して思い出したもうひとつのこと。香港の地下鉄構内を歩いているときに不意に、香港(とマカオ)が、『深夜特急』(沢木耕太郎・著)の旅のはじまりの街であることも思い出した。『深夜特急』は、現在の私のルーツのひとつとも言える本でもある(14話)。出発前に読み返しておけばよかった、そしてそれをこの旅に持ってくれば良かった、とそこで少し後悔した。 最終日の朝の香港国際空港。香港での用務を終えた私は、空港での手荷物検査の列の中でそれを待っている間、香港からイギリス・ロンドンを目指した沢木氏の『深夜特急』の旅路を、スマホで改めて調べ直してみた。するとなんと、香港(とマカオ)の後に、タイのバンコクに飛んでいるではないか。 ......やれやれ、である。 そこで改めて、そのことに出発前に気づかなかったこと、そしてその巻の文庫本だけでも持ってくるべきだった、という後悔の念を抱きながら、私もその旅路をなぞるように、バンコクへと向かった。 文・写真/佐藤 佳