「レミパン」はこうして生まれた、人気フライパンを作った町工場の挑戦
料理愛好家でシャンソン歌手でもある平野レミさんの名前がついたフライパン「レミパン」。実はこのレミパンを企画したのは新潟県の小さな金属加工会社だ。四半世紀にわたって愛されるレミパンはどうして生まれたのだろうか。 【写真】生放送「しらばっくれんじゃねーよ!」…平野レミを支えた「妖精さん」たち
新潟県燕市にある「オダジマ」を訪ねると、社長の小田島智博さん(54)がレミパンの特徴でもある「蓋」の加工の現場を見せてくれた。
コーティング塗装された平らなアルミの板をプレス機にかけ、縁に微妙な丸みをつける。蓋を立てて台所に置いた時に、水滴が落ちないようにするというレミさんのアイデアを形にしたものだ。
レミさんにフライパンの開発を持ちかけたのは、先代社長で智博さんの父、直人さん(81)だったという。「オダジマ」は、栓抜きや蒸し器、プリンカップなど金属製の調理用雑貨を中心に製造する会社だった。ただ、海外から安い輸入品が入ってきて、雑貨だけでは先行きが厳しいと直人さんは判断していた。
そこで、新機軸として考えたのが、著名人とのコラボレーション企画。それまで、フライパンの蓋は作っていたものの、鍋は作ったことがない。看板になるような商品を作りたい、と知り合いを通じて、レミさんに「理想のフライパンのアイデアはありませんか」と打診したのだという。1999年(平成11年)ごろのことだった。
レミさん側も、従来のフライパンに不満があった。当時の日本製のフライパンは、浅型が主流で、深めのフライパンは海外製の重いものばかり。毎日、使いたくなる軽くて使いやすく、フライパンの蓋が邪魔にならないものがほしかった。「私の願いをかなえてくれる工場がないかなと思っていたから、電話をもらったときに神様が私の願いをかなえてくれた!と思いました」とレミさんは振り返る。
かかった費用は「ベンツ3台分」
しかし、開発過程は「トライ&エラーの連続でした」と智博さん。レミさんからの要望を聞き、直人さんや智博さんが試作品を作って持って行く。それを実際に使ってレミさんが料理を作ってみると、「主婦が使いにくい点」がたくさん出てくる。