「あの人、暴走族になっちゃったみたいよ」と、ご近所に囁かれて【昭和エモ伝Vol.3】
一番のトラブルでは集合撮影に選んだ場所もあって大問題に発展した。いくら昭和とはいえ、族車が100台も暴走する撮影を公道ではできないので、さすがにこの時は私有地を貸し切っていた。場所は埼玉県にあった所沢サーキットで、当時はカートコースとモトクロスコースがあったんだよね。まぁ時効ってことで言うと、元々は東京オリンピックのクレー射撃会場で、それを政●家を使って、ヤ●ザの親分さんが入手した土地。で、土地を寝かしておくためにカートコースとモトクロスコースをやっていたわけだ。 まあ、そんなヤバイ場所とは知らず、族の輩がバールで自販機をこじ開けて中の金とジュースを盗んだ。それを知った地主の若い衆が現場に怒鳴り込んでくる。手には猟銃……。多勢の暴走族もさすがにホンモノの人達には縮み上がってたね。結果的には撮影所側が賠償して、幸いにも大きな揉め事にはならずに済んだ。 ──撮影は黒指定が多かったので、レギュラーメンバーのバイクは、黒に全塗装した。ちなみにパートタイムのメンバー車両は、黒のビニールゴミ袋をタンクに被せて撮影。それでも映像じゃ、黒のバイクに見えてしまうから不思議。
初めてのクルマも同じく族仕様に
「爆発! 750cc族」では自分が乗っていたトヨタ・セリカ1600GTが劇用車で登場。屋根を切り落としてロールバーを入れて、車体剛性出すのにドアを溶接してって、自分にとっては初めてのクルマだったんだけどね……。ボンネットを白く塗ったりサイドにストライプを入れたのは、この映画の主演だった岩城滉一さんのアイデア(岩城さんとは「爆発!暴走族」からのお付き合い)。このシリーズには、後に“ウイリー松浦”として有名になる松浦さんも仲間入りして、毎日のようにロケで馬鹿をやってました。こういったテレビや映画のお仕事で、結構、稼がせてもらいました。たいたいギャラは当時の平均日当の2~3倍ぐらいだったかな。ただ、収入はバイクとクルマのカスタム費に溶かしてしまったので、ほとんど残らなかったんだけどね(この昭和カスタムのお話はまた別の回にて)。 ──ゼッツーに続き、初めてのマイカーだったセリカも劇用車へと大改造。当然、地元では「牧田くんは暴走族だった」とか「屋根の無いセリカに乗ってた」などという噂話が広がっていった。ワタクシ、暴走族の知り合いは(仕事上)多かったけど、暴走族になったことは一度もありません。