泉里香『光る君へ』であかね(和泉式部)を演じて。放送が始まってからのキャスティングに驚きつつ、役名にご縁を感じた
『THE TALE OF GENJI AND KYOTO 日本語と英語で知る、めぐる紫式部の京都ガイド』(プレジデント社)の著者が、『光る君へ』の舞台である平安京の文化や、知られざる京都の魅力について綴ります。今回は、和泉式部役で話題の泉里香さんを迎えた特別編。 【写真】怒るききょうに対し、あかね、この表情! * * * * * * * ◆泉姓の自分が和泉式部を演じる 大河ドラマ『光る君へ』の登場人物のなかでも、とりわけ鮮烈な印象を残し、話題をさらっているのがあかね(和泉式部)ではないでしょうか。情熱的な恋の歌を詠む天才肌の女流歌人であり、ふたりの親王に愛された恋多き女性――そんな魅力的な役柄をチャーミング、かつ妖艶に演じる泉里香さんに、お話をうかがいました。 ――泉さんは京都市のご出身だそうですね。京都を舞台とした大河ドラマに出演された感想をお聞かせください。 大河ドラマ出演は、私にとって憧れであり、目標でもあったので、お話をいただいたときは本当にうれしかったです。しかも、京都の平安時代を題材にした作品で……。大河ドラマは幅広い年齢層の方が観てくださるので、反響の大きさを日々実感しています。両親も親戚もとても喜んでいて、毎回、楽しみに観てくれているようです。 ――泉さんが“和泉”式部の役を演じることになったことも、何かのご縁を感じます。 同じ名前の和泉式部を演じさせていただくのは、たいへん光栄なこと。「泉さんだから、和泉式部の役になったの?」と、よく聞かれるのですが、本当のところはどうだったのでしょう。キャスティングしてくださった方に、ぜひうかがってみたいです。(笑) 実は、出演のお話をいただいたのは今年の3月頃だったんです。『光る君へ』の放送は既に始まっていて、一視聴者として放送を観ていたため、とてもびっくりしました。
◆恋する女性の気持ちは1000年前も同じ ――ずいぶん急なお話だったのですね。 そうなんです。出演が決まってから、慌てて和泉式部について調べたり、『和泉式部日記』や『源氏物語』の現代語訳を読んだり。5月頃から撮影に入ったため、あまり時間はなかったのですが、京都にある和泉式部ゆかりの誠心院(せいしんいん/和泉式部が初代住職となり創建)や貴船神社(歌に託して夫〈他の男性という説も〉との復縁を祈願したと伝わる)にも足を運びました。 (『源氏物語』の舞台である)宇治をはじめ、紫式部や『源氏物語』は、以前からわりと身近な存在ではあったんです。でも、この作品のおかげで平安時代に興味がわき、京都をもっと知りたくなりました。 訪ねたい場所もたくさんあります。祇園祭にも、和泉式部ゆかりの山鉾(注)があるそうなので、ぜひ見てみたいです。 注・「保昌山(ほうしょうやま)」のちに和泉式部と結婚する丹後守・平井(藤原)保昌(やすまさ)が、彼女のために御所・紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿を表現している。古くは「花盗人山」と呼ばれた。 ――夫のある身で、冷泉天皇の皇子、為尊(ためたか)親王と恋に落ち、親王の死後は、その弟・敦道(あつみち)親王と結ばれる。ところが、敦道親王も若くして亡くなり、その服喪後に、中宮彰子に仕えることになるわけですよね。そんなドラマチックな人生を送った和泉式部について、どんな印象をお持ちですか。 自分の心に正直に生きていて素敵ですよね。親王さまを立て続けに亡くしただけではなく、晩年は娘(小式部内侍)にも先立たれたと聞きます。恋多き華やかな人生だったかもしれないけれど、同時に、大切な人たちとの別れに苦しむ日々でもあったのでしょう。 和泉式部は1000年前を生きた女性ですが、恋する気持ちは、今も昔も変わらないんだなぁ、とも思いました。恋愛が生きがいになったり、日々の励みになったりする。同じ女性として、共感できます。
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