【訃報】仲間たちが語るやさしさ “朝の顔”22年小倉智昭さん(77)死去「とくダネ!」名物呼びかけ「あまたつ!」誕生秘話
古市憲寿さん、10月に小倉さんの自宅を訪問
コメンテーターとして「とくダネ!」で小倉さんと長い期間ともに番組を盛り上げ、一緒に書籍を出版したこともある、社会学者の古市憲寿さん。 突然の訃報に、「まだ実感がない」と話します。 古市憲寿さん: まだその…実感が全然ないんですよね。 もちろんご病気のこともずっと聞いていたから、この日が来ることって、まぁ覚悟が多分笠井さん含めて、多分皆さんなんとなく想像っていうかはしていて…、でも、やっぱり実感があんまないんですよね。 本当につい10月にお会いして、その時めちゃくちゃもう、まだ元気で。なんか冗談っぽく、「俺が死んだら欲しいもの予約しておいてよ」って言っていて。でもお互い「死」って言葉が冗談で言えるくらい、こっちもそれを冗談にできるくらい小倉さんも元気な状態だったので。 MC谷原章介: 古市さんにとって、どんな方でしたか?小倉さんは。 古市憲寿さん: すごく優しくて、シャイな人という印象です。テレビで見ると、“意地悪ジジイ”にしか見えないじゃないですか、でも、本当に全然違って、すごくシャイで。 だから始めは嫌われていると思ったんです。出演しても本番前も後もしゃべってくれなくて、でも後々わかったのは、すごくシャイで、すごく人見知りで、でも打ち解けるとすごく優しくしてくれて…。 あと、人のことを応援することをいとわない人ですよ。僕もすごい応援してもらったし、誰かのために行動することをいとわない人。
「とくダネ!」初期に10年間共演した佐々木恭子アナウンサー
多くの人に影響を与えた小倉智昭さん。「とくダネ!」の立ち上げから、笠井信輔アナウンサーとともに小倉さんを支えた佐々木恭子アナウンサーもその一人です。 佐々木恭子アナウンサー: 10年間ご一緒させていただいたんで、私、本当に小倉さんからすべて仕事を教わったって思っているんですね。その中でも小倉さんを表す偉大さというと、よく私たちの番組の中では、本当に不本意ながら、ある日、突然、事件や事故に巻き込まれたり、災害に遭われる方っていうのをたくさん長い時間を使って、放送することがありますよね。 その時にスタジオに戻ってきて、一言「お気の毒だよね」っておっしゃっていたんですよ。でも、それって放送する立場からすると、実は、結構使えない言葉だと思うんですよね。 他人事に聞こえるんじゃないかとか、高みの見物に聞こえるんじゃないかっていう。 でも、小倉さんはすべてのそのやるせない気持ちを本当に一言で、「お気の毒だよね」っておっしゃっていて。 私、26歳からご一緒させていただいたんですけれども、いつかこの一言に何かすべてを込められるような、なんかそういう人生経験をしていきたいなっていうのは、小倉さんから教わりました。でも、やっぱり未だに使えないです。 MC谷原章介: それは小倉さんの人としての大きさだったり、情の厚さみたいなものなんですかね。 佐々木恭子アナウンサー: 優しさとか、ご本人もいっぱい苦労して過ごしてこられたからこそ、にじみ出る情とか、愛情とか優しさが、全部そこに詰まっていて。 もう万感の思いを込めて、よくそうやって「気の毒だね」っておっしゃっていたのをすごく記憶しています。 (『めざまし8』 2024年12月10日放送より)
めざまし8
【関連記事】
- 【写真9枚】仲間たちが語るやさしさ “朝の顔”22年小倉智昭さん(77)死去「とくダネ!」名物呼びかけ「あまたつ!」誕生秘話
- “朝の顔”22年…「とくダネ!」小倉智昭さん死去 享年77 長きにわたるがんとの闘いの日々を公表し続けた理由とは
- 小倉智昭さん(77)死去 1ヵ月前の取材で「いつ倒れるかわからない」 別居で“老々介護”妻への感謝も語る 22年務めた『とくダネ!』キャスター時代に膀胱がん手術
- 小倉智昭 “老々介護”を2ヵ所で行う別居中の妻に感謝「自分のことはなるべく自分で」自宅での闘病生活ルーティン
- 【小倉智昭×谷原章介 初対談】新旧MCの本音 “炎上”への向き合い方…“生きる”ことへの感情の変化とは?「がんになってよかった」