1世紀の縁“大関おおのさと” 先代一族・天内司さん「孫を見るような感じ。堂々たる横綱になってほしい」
大の里のしこ名の由来となったのが、大正から昭和にかけて活躍した大関大ノ里萬助。「相撲の神様」と称された初代大ノ里の一族の天内(あまない)司さん(71)も“2代目”の大関昇進を喜び、さらなる活躍を願った。 【写真】 大の里の口上は「唯一無二の力士を目指し」師匠は大関昇進時に四文字熟語なし しこ名が結んだ縁。初代に並ぶ大の里の大関昇進に、天内さんは「うれしい限りだよね。ちょっと早いね」と声を弾ませた。青森県藤崎町出身の初代大ノ里は曽祖父の弟にあたる。昨年3月、同じ青森出身の西岩親方(元関脇若の里)から「しこ名を使ってよいでしょうか」と電話があった。天内さんは「ぜひ使ってください」と即答。「初代がまた脚光を浴びるだろうから」と快諾した。 今場所前の8月20日、藤崎町を訪問した大の里と初めて会った。印象は「いいわげもの(若者)だ」。私財を投じて相撲の発展に尽くすなど、誠実な人柄で知られる初代の話を熱心に聞いていたのが印象に残った。身長161センチの初代と違い、大の里は192センチ。天内さんは「でかいなと思った」と笑いながら「体格は全然違うけど、相撲に向き合う姿勢は共通なものがあるという感じがした」と似た内面を見て取った。 初代大ノ里が大関昇進を決めてから、今年でちょうど100年。初代が亡くなって15年後に生まれた天内さんは、祖父や両親から聞いた人物像を語り継ぎ、ゆかりの品を町の施設で展示している。大の里の取組は「ハラハラドキドキ。孫を見るような感じで」観戦しているという。秋場所の戦いぶりには「すごいね。覚醒したような感じ。顔つきも違っているように見える」と猛スピードの進化に驚きを隠せない。 1世紀の時を経て誕生する“大関おおのさと”。「早ければ来年には横綱になる。初代どころじゃないね」と笑った天内さんは「王道を行ってほしい。堂々たる正攻法の相撲で、みんなに尊敬される堂々たる横綱になってほしい」と期待を込めた。 ◇大ノ里萬助(おおのさと・まんすけ)本名天内萬助。1892年4月1日、青森県藤崎町出身。1912年春場所で初土俵を踏み、18年夏場所で新入幕。25年1月の春場所で新大関。力士の待遇改善を求めた32年1月に起こった春秋園事件を起こして日本相撲協会を脱退した。35年に現役引退。幕内通算成績は217勝147敗22休6分4預。優勝はなし。38年1月22日に45歳で死去。現役時代は161センチ、97キロ。