弱体化した? 国連の役割は終わったのか
5月13日、シリア内戦の和平を担当する、国連とアラブ連盟のブラヒミ合同特別代表が、辞任の意向を発表しました。国連の全面的支援が得られず、シリア和平を進められないことが理由でした。 これに象徴されるように、北朝鮮の核開発やクリミア問題などでも、国連は期待される役割を十分果たせていません。果たして、国連は「弱体化した」のでしょうか?
もともと大きな力はない
「国連の機能不全」への批判は、しかし今に始まったものではありません。その批判は冷戦時代から、主に戦争と平和の問題を扱う、安全保障理事会に向けられてきました。 国連はもともと、第二次世界大戦の戦勝国である連合国を母体に、1945年に国際機関として設立。しかし、冷戦時代は安保理で五つの常任理事国、なかでも米ソが対立。お互いの提案に拒否権を発動しあい、安保理はほぼ何も決定できない時期が続きました。 国連憲章では、加盟国同士の戦争に国連が軍事介入を行うことが認められていますが、実際に「国連軍」が組織されたのは朝鮮戦争(1950-53)の時だけ。その決議は、ソ連が欠席していたため成立しました。
冷戦の終結後は大きな期待
しかし、1989年の冷戦終結で国連には大きな期待がかけられるようになり、その一方で唯一の超大国となった米国は国連との連携を模索するようになりました。 ソ連崩壊と同じ1991年の湾岸戦争でクウェートに派遣されたのは、米国を中心とする多国籍軍。これは国連憲章で定められた「国連軍」ではありませんが、安保理の決議を受けて、有志の国連加盟国が派遣した部隊でした。 その後、米国は安保理決議という「お墨付き」を得て軍事活動を起こし、一方で自前の兵力をもたない国連は米軍と連携することが多くなりました。それは冷戦終結直後の米国が、中ロを含む他の常任理事国に対して、絶大な影響力をもっていたからこそ可能だったと言えます。
内戦介入に拒絶感、再び分裂へ
ところが、1990年代に米国など欧米諸国が、他国の内戦に介入することが目立つようになるにつれ、これに対する拒絶反応も生まれました。 1999年、セルビアのコソボ自治州で民族紛争が激化。これを受けて、米国などは「アルバニア人がセルビア人民兵に虐殺されている」と軍事介入を主張。これに対して、中ロ、なかでもセルビアと近いロシアは「セルビアの主権を侵害する」と反対。結局、安保理で決議が得られないまま、NATO(北大西洋条約機構)はコソボに軍事介入したのです。