日本の裁判所が「正義」よりも大事にしているもの…「靴ナメ」に等しい屈従さえも可能にする”ピラミッド型ヒエラルキー”の実態!
平等とは真逆の組織
このあたりから序列は著しく細かくなり、はっきりいって、人事にあまり興味のなかった私には詳細はよくわからない。しかし、時に応じある程度は揺れ動くにせよ原則としては定まった、厳然たる微細な序列があることは間違いがない。いずれにせよ、次がそれ以外の地家裁所長とそれ以外の高裁裁判長。そして高裁支部長と地家裁大支部の支部長。次が地家裁裁判長と高裁の右陪席。その格付けには全国でかなり大きな差がある。次が高裁の左陪席と地家裁の右陪席。最後が地家裁の左陪席となる。大支部以外の地家裁支部長は地家裁右陪席クラスまで広がる。なお、新任判事補の任地は、かつてはおおむね成績を第1の基準として東京から順に並べていたようであるが、近年は微妙になっており、一概にはいえない。 これとは別に、最高裁判所事務総局には事務総長、局長、課長、局付がおり、最高裁判所調査官としては首席、上席、普通の調査官がおり、司法研修所には所長、上席、事務局長、普通の教官がおり、裁判所職員総合研修所は司法研修所に準じ、また、各高裁には事務局長がいる。格付けとしては、事務総長、首席調査官、司法研修所長は高裁長官に準じ、事務総局局長は所長に準じ、同課長、最高裁判所調査官、司法研修所教官の比較的上のほうは東京地裁裁判長と同クラス、高裁事務局長はその所在地地裁裁判長と同クラス、といったところであろうか。また、法務省本省や各法務局に出向している裁判官にも、これに準じた細かな序列がある。 思い出しながら書いていても胸が悪くなりそうな気がするのだが、こうした、相撲の番付表にも似た裁判官の細かなヒエラルキーは、裁判所法をみても決してわからない。日本の裁判所がおよそ平等を基本とする組織ではなくむしろその逆であることは、よくよく頭に入れておいていただきたい。
最高裁長官の腹心の部下“事務総長”
さて、先のヒエラルキーのトップに位置する最高裁長官は、原則として、めったに開かれない大法廷の裁判にしか関与しないから、その主な仕事は、司法行政の統轄、より直截にいえば、司法行政を通じて裁判所の職員全体、とりわけ裁判官を支配、統制することである。制度の建前上はともかく、実際上の最高裁長官の権力、権限は、ほかの最高裁判事よりも格段に大きい。1980年代以降に限ると、その全員が、事務総局系の裁判官出身であり、また、9名中4名が事務総長経験者である。 14名の最高裁判事のうち裁判官出身者(前記のとおり通常6名)は、近年はほぼ全員が事務総局系である。 事務総局のトップである事務総長は最高裁長官の直属、腹心の部下であり、そのポストは最高裁長官、最高裁判事への最も確実なステップである。ほとんどが最高裁判事になっており、歴代裁判官出身最高裁長官の約半分をも占める。前記のとおり、「最高裁長官の言うことなら何でも聴く、その靴の裏でも舐める」といった骨の髄からの司法官僚、役人でなければ、絶対に務まらない。最高裁長官のいる席では「忠臣」として小さくかしこまっているが、その権力は絶大であり、各局の局長たちに対して長官の命令を具体化して伝えている。 行政官庁の局長には、かなりの程度の裁量権があるが、事務総局の局長には、そんなものはほとんどない。最高裁長官の意向に黙って従う「組織の大きな歯車」にすぎない。このことについては、私は、そのような内容の愚痴をある局長がこぼしていたのを実際に聞いたことがあり、間違いはないはずだ。当然、局長の部下であるところの、局付はもちろん課長でさえ、本質的には、ただひたすら命令される「若造、小僧」にすぎないといってよいだろう。 ところが、事務総局の外、つまり現場の裁判官たちとの関係では、事務総局の権力と権威は、そのトップについてはもちろん、総体としても決定的に強大である。 その結果、先にも記したとおり、傲慢な局長であれば地家裁所長、東京地裁所長代行クラスの先輩裁判官たちにさえ命令口調で接することがありうるし、課長たちの地家裁裁判長たちに対する関係についても、同様のことがいえる。 これに応じて、所長たちの上向き、事務総局向きの姿勢もきわめて顕著であり、その結果として、自分の裁判所の裁判長は鼻であしらうのに、事務総局の局付判事補に対してはばかていねいな応対をするといった見苦しい倒錯が生じる。これは、もちろん、局付個人に対してではなく、その「ポスト」に対して敬意を表しているのである。この官僚組織にあっては、吹けば飛ぶような「個人」などどうでもよく、「ポスト、肩書」こそがものをいうからだ。 『“腐敗”しきった「上層部絶対主義」の姿はほとんど「忠犬」!…「上におもねり、部下に強権を振るう」地裁所長の衝撃の姿』へ続く 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)