65年前、墜落事故当時の校長の「備忘録」が明らかに 沖縄・宮森小米軍ジェット機墜落事故 学校再建、米軍との補償交渉の詳細記す
1959年6月30日に起きた宮森小米軍ジェット機墜落事故で、当時校長だった故・仲嶺盛文さんが事故以降の様子を詳細に示した備忘録(日記)の原本のうち事故に関する記述の詳細がこのほど明らかになった。自身らも事故被害者である仲嶺さんの息子3人がうるま市の実家に保管していた。事故を語り継ぐ「石川・宮森630会」が備忘録の原本を確認した。 【動画あり】想定は「嘉手納基地を離陸、近くの公園に墜落・炎上」 マリーナで日米が事故想定で訓練 沖縄
仲嶺さんは日々の思い、仕事内容全般を記録していた。筆まめで、生前に書きとめた冊子は確認できただけでプラスチックの衣装ケース2箱分。3人の息子は時間を見つけては、読み解いていた。 備忘録では当日、事故を聞いて研修先から戻ってきた仲嶺さんが、学校の変わり果てた様子を見た時の気持ちや、その後の学校再建の過程、米軍との補償交渉などを記している。 備忘録の写しは、仲嶺さんの出身地である恩納村瀬良垣の自治会に保管されている。事故当時の宮森小の教諭を通じて630会は2011年に、備忘録の所在を把握していた。備忘録の記述は事故発生時の学校側の詳しい様子がうかがえる貴重な資料とみられる。
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