ベンゲル効果で外国人監督が主流に 飲酒文化をなくしプロ意識を向上 【プレミアリーグ 巨大ビジネスの誕生④】
大物外国人選手の流入により時代遅れと揶揄された「キックアンドラッシュ」のスタイルから徐々に脱却していったイングランドのサッカーに、さらなる改革をもたらしたのが外国人監督だった。その代表的な存在が1996年10月にアーセナルがJリーグの名古屋から引き抜いたアーセン・ベンゲル監督。日本からやって来た知名度の低いフランス人に当初ファンやメディアは懐疑的な視線を注いだが、それまで「1―0のアーセナル」というフレーズが定着するほど手堅さを売りとしていたチームに攻撃的なスタイルを植え付けて進化させた。(共同通信=田丸英生) 【プレミアリーグ 巨大ビジネスの誕生①】相次ぐ事故や火災で死傷者、暴動と悲劇を経て動き出した改革 世界最高峰のサッカーリーグはどのようにして生まれたのか
▽「革新者」ベンゲル 少年時代だった1984年からシーズンチケットを持ってチームを追い続け、現在アーセナル・サポーターズ・トラストの幹部を務めるティム・ペイトン氏(51)は「外国から監督を招くのが珍しい時代でまだ閉鎖的な考えも残っていたので、もしいいスタートを切れなかったら『この外国人はイングランドのサッカーを分かっていない』と切り捨てられていただろう」と振り返る。シーズン途中の就任となった1季目で3位に入ると、的確な補強も実って2季目の1997~98年にリーグとイングランド協会(FA)カップの2冠を達成。そこから長きにわたって名将の地位を築き始めた。 同じロンドンに本拠地を置くライバルの一つ、チェルシーでプレーしていたグレアム・ルソー氏(55)は「彼ほどこの国のサッカー文化に影響を与えた人はあまりいない。真の革新者だった」とインパクトの大きさを語る。イングランド代表の活動があると、多くの選手がベンゲル監督の練習内容に興味を示してアーセナルの選手を質問攻めにした。その中でも練習時間を細かく管理していたエピソードが印象に残っているという。
「最後に行うミニゲームはどれだけ白熱しても、アーセンは必ず終了予定の時間に強制的に終わらせた。納得できない選手が『決着するまで』『あと1点』などと訴えても聞かず、試合に向けて体を休ませる重要性を説いて納得させたようだ。プロ意識の高さは非常に共感できたし、自分自身はベンゲル監督の下で一度もプレーしたことがないのに最も大きな影響を受けた指導者の一人」とまで言う。 ▽飲酒文化にも変化 選手の飲酒が当たり前だった1990年代半ばまで、アーセナルには練習がオフの前夜に選手同士で飲みに出かける「火曜日クラブ」と呼ばれる慣習があった。当時の本拠地ハイバリー・スタジアムの近隣パブに選手が顔を出すことは茶飯事で、チームの一体感を高める重要な集まりとされていた。 他のクラブでも同様の文化があり、選手の飲酒をめぐるスキャンダルがタブロイド紙で報じられることも珍しくなかった。そんな時代にベンゲル監督は食事や飲酒の制限を設けてコンディショニングの細部にこだわり、外国人選手はプレーだけでなくお酒との付き合い方でもイギリス人と違ったスタイルを持ち込んだ。