「中曽根さんが101歳で亡くなったから、自分もせめて100歳までは」読売主筆・渡邉恒雄氏が2年前に明かした“生への執念”【追悼】
「文藝春秋」で匿名連載を書いていた
そもそも文春との付き合いは、田川博一さんに出会ったことがきっかけだった。本当に彼にはお世話になったよ。田川さんは、戦後の文春復興の祖である池島信平さん指導のもと、30代の若さで「文藝春秋」の編集長になり、「週刊文春」の編集長も務めた。一方の僕はまだ政治部の駆け出し記者に過ぎなかった。 僕の目から見て、田川さんは天才的な編集者だった。そして何よりも顔が広かったな。銀座の超一流クラブ「おそめ」や「エスポワール」に連れて行ってくれた。そこでは政財界の大物や著名な文学者が、ワイワイ一緒になって酒を飲んでいる。白洲次郎や、右翼の大物だった三浦義一なんてのもいた。彼らに接することができたのも、田川さんのお蔭だよ。 そんな田川さんからある日、「ナベちゃん、政界の裏話に精通している人を集めてくれる?」と頼まれたことがあった。「どうするの?」と聞くと、「記事にするから、話を聞きたい」と。 それで僕が5、6人の選りすぐりの政治記者を集めて夕食をとりながら、あれこれ政治談議をしたんだ。当時、銀座にあった文藝春秋ビルの中のレストランだった。田川さんが上手いこと聞き役に徹するものだから、みんなも酒が進んで安心して喋っちゃう。あれは、田川さんの人徳のなせる業だよ。 その話をぜんぶ速記にとって僕が一本の記事にまとめる。それが「政界夜話」という匿名連載になった。今でいうところの「赤坂太郎」と同じだな。ただ、少し違うのは、その時は、なぜか記事の最後に筆名で「V・O・J」(ヴォイス・オブ・ジャパン)と入れたんだよ。これが何とも洒落ていたね。 ◆ 本記事の全文(約9000字)は「文藝春秋 電子版」でご覧ください(渡邉恒雄「 百歳まで生涯一記者だ 」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。 ・ キッシンジャーのゴシップ ・親友・中川一郎との決裂 ・モスクワ五輪反対の論陣 ・安倍さんは可哀そう ・政権の機密を全部聞いた ・大野伴睦の遺骨を握りしめ ・オーナー時代の苦い記憶
渡邉 恒雄/文藝春秋 2022年11月号