『光る君へ』平安時代の総人口1000万人に対して貴族は500人足らず…その宮中の物語を描いた「ドラマ」を歴史学者・本郷和人はどう見る?
◆“ドラマ”とどう向き合うか さて、こうしたことを踏まえて、この一年間、どう『光る君へ』と向き合うか。 ドラマなのだから、フィクションであるのは自然なこと。このコラムで何度も申し上げているように、これは大前提です。それをふまえて歴史学者としての専門的な知見を、となると…。 日本文学が専門であるならば、登場人物に対峙し、心の動きに寄り添う。それが可能になりますよね。でも悲しいかな、日本史研究に一応良心的に従事する身としては、そういうわけにはいきません。ある意味で、うそをつくことになるから。 ノンフィクションとでもうたっていない限り、ドラマが“うそをつく”のはまったく問題ない。ですが、研究者が自覚的にうそをついてはシャレになりません。 そんなドラマをもとに記していくこのコラムが、大河ドラマファンにとって、少しでも有意義なものになるにはどうすべきか…。書きながらよく考えていきたいと思っています。 というわけで、引き続き宜しくお願いいたします。
本郷和人
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