「セルフ結婚式」で祝う私の人生 悩んだ思春期を越えてトランスジェンダー女性が誓ったこと
30代のトランスジェンダー女性が「セルフ結婚式」を挙げた。誰かと結婚するわけではない。今は結婚するつもりもない。家族や友人に感謝を伝え、自分らしく幸せな人生を送ることを誓うセレモニーだ。クラウドファンディングで参加者を募り、1年かけて準備した。誰のものでもない、自分の人生を祝うために。 【写真】「セルフ結婚式」の様子、両親や友人も祝福 ■トランスジェンダーを自認して10周年の節目 9月の3連休最終日。爽やかな秋晴れの下、神奈川・横浜の山下公園である結婚式が行われた。式の主役はウェディングドレスに身を包んだ徳光みくさん(34)ただ1人。家族や友人らでつくるアーチをくぐり、海を背に誓いの言葉を述べる。 「一生面白いことに挑戦しつづけると誓いますか?」「誓います!」。従来なら花婿が持ちあげるベールを自分で持ち上げ、にっこり笑った。 式の後、披露宴会場まで50分ほどの道のりを潮風に吹かれながら参加者と歩く。10年ぶりに再会した大学の友人は「学生の頃より笑顔が増えた」と嬉しそうだ。大阪から駆けつけた應武茉里依さん(28)は9年前に学生だけの無人島旅行を企画し、公募で参加したみくさんと出会った。心と体の性が違う人に会うのは初めてだった。「どう接したらいいか迷う場面もあり、それをずっと後悔してた。みくと出会ったおかげで想像力という優しさを身につけることができた。感謝しています」。 ■男でも女でもわが子に変わりない 会場の設営から手伝った母親のえりさん(64) は「男でも女でもわが子に変わりはない。本人が幸せに堂々と生きていければそれがいちばん」と朗らかに言った。温かな祝祭を締めくくる披露宴で、花嫁はこうスピーチした。 「トランスジェンダーを自認して10周年という、人生の重要な節目をお祝いしようと今日の式を企画しました。これからも自分の気持ちに正直に生きていくことを皆様の前で誓う式でもあります」
■いたたまれずに教室を飛び出したことも 県内の海がある町で育ち、生き物や創作が好きな穏やかな子だった。思春期を迎える頃、少しずつ周りとの「違い」を感じ始める。高校では男同士の会話になじめず孤立した。修学旅行の班決めでどこにも入れず寝たふりをしていると、近くにいた男子生徒に「お前も入れよ」と腕を引っ張られ、椅子から転げ落ちてショックで泣いてしまった。周りにはやし立てられ、いたたまれずに教室を飛び出した。 仲間に入りたいとも、入れるとも思わなかった。結局、高校では友だちと呼べる人はできなかった。ただ、それがセクシュアリティーに起因しているとは思いもしなかった。テレビで人気の「おねえタレント」たちを見て、「自分もこの人たちと同じだろうか」と疑い、「でも男性が好きなわけじゃない」と打ち消す。最後は「コミュ障」だということにして自分の気持ちにふたをしていた。 大学院生だった24歳の時、ネットサーフィンをしていてセクシュアリティーマップという樹形図を見つけた。セクシュアリティーを「身体の性」「心の性」「好きになる相手の性」の3つに分類し、12通りの組み合わせがあることを示したものだ。その1つ「身体は男性、心は女性、好きになる性は女性」の組み合わせを見て、「これが自分だ」と直感した。突然、目の前の霧が晴れ、見通しの良い平原が広がったようだった。 ■「私の人生はひとりの状態で完成形」 それ以来、活動的な自分を取り戻していく。博士課程には進まずに就職し、休日はNPO活動やボランティアに打ち込んだ。30代になり周りに既婚者が増えると、「結婚しない人生はピースが足りず不完全だという世間の意識」(みくさん)に微かな反発を覚え始めた。 「私の人生はひとりの状態で完成形。結婚しない人生も、結婚する人生と同様に価値あるものだと感じたいし、大事な人たちに認めてほしい」。一度きりの人生、モヤモヤを抱えて生きるのはもったいない。みくさん流の“解”がセルフ結婚式だった。 みくさんはいま、企業理念に共感する外資系化粧品メーカーで働く。性自認を公表してから「はるかに生きやすく、幸せを感じる瞬間が増えた」という。たとえば女友だち2人とお店に入り、友人が注文票に「女性3人」と書くのを見た時。「性別違和の状態だと、心の性が認められたと感じた時、特別な幸福感を味わえるんです」。 アイデンティティーに葛藤していた10代の自分にはこう声をかけてあげたい。「世の大多数と違っても、世間が考える幸せの条件を満たさなくても、あなたのままで大丈夫。幸せはあなたが決めればいい」