犠牲者追悼、慰霊飛行も 海自機墜落から62年 奄美市名瀬で慰霊式典
輸血用血液を輸送していた海上自衛隊の哨戒機が鹿児島県名瀬市(現・奄美市名瀬)の「らんかん山」に墜落した事故から今年で62年。1日、同市の名瀬小学校体育館で犠牲者を追悼する慰霊式典があった。参列者は黙とうや献花を通じて犠牲者の冥福を祈るとともに、惨事の記憶を風化させまいと心に刻んだ。 事故は1962年9月3日午後4時55分ごろに発生。急患用血液を輸送していた海上自衛隊第1航空群(鹿屋航空基地)所属の対潜哨戒機P2V―7が墜落し、炎上。搭乗員12人と逃げ遅れた住民1人が死亡した。奄美大島には当時空港がなく、哨戒機は名瀬港中央埠頭(ふとう)に血液を投下するため、低空飛行で名瀬市街地付近を旋回していた。 式典は奄美大島青年会議所(沖道成理事長)主催。海自第1航空群や市内の関係者、市民ら約80人が参列した。開式を前に午前10時ごろ、同基地所属の哨戒機P―1が追悼飛行で名瀬市街地上空を通過した。 式辞で同会議所の沖理事長は「この歴史的出来事が風化されることがないようこれからも語り継ぎ、生命の尊さと献血の重要性を伝えていく」と語った。
安田壮平奄美市長と海自第1航空群司令の大西哲(さとる)海将補が追悼の辞。大西海将補は「凄惨(せいさん)な事故を繰り返すことがないよう、いかなる事態にも即応できる部隊を目指して日々の訓練に励んでおり、皆さまの期待に応えていく」と決意を新たにした。 式典後、献花された花はらんかん山の事故現場付近に建てられた「くれないの塔」に移された。関係者が焼香し、当時に思いをはせた。 事故翌年から実施された慰霊式は三十三回忌を機に一度は途絶えたが、2005年に再開された。22年からは多くの参列者を迎えるため、会場をくれないの塔から同小体育館に移している。 奄美市は人命救助のため尊い命をささげた犠牲者の行為を語り継ごうと、事故が起きた9月3日を「献血の日」と定めている。