地震と豪雨、2度孤立した輪島の老夫婦 集落復旧と春の到来を願う
「電気が通ったとしても、これから家へはまた行かれん。道が直らにゃ冬はだめだな」。12月初旬、石川県輪島市の西保地区に自宅がある佃一男さん(78)は、妻のトシ子さん(76)と暮らす輪島市中心部の仮設住宅で、手持ちぶさたに話した。 【写真】自宅近くで田植えをする佃一男さん(右)とトシ子さん=2024年5月10日、石川県輪島市下山町、伊藤進之介撮影 元日の能登半島地震で、西保地区は孤立集落になった。佃さんら住民は1月17日に同県白山市の体育館に自衛隊のヘリコプターで避難し、4月上旬に仮設住宅に入居した。現在も輪島市中心部と地区をつないでいた海岸線の県道は通れず、帰宅するには林道を通るしかない。 4月に輪島に戻ってから、2人は、天気がよい日に林道を車で30分ほどかけて通い、自宅の壊れた瓦屋根を自力で修理し、米や野菜を作った。 9月21日の豪雨で、再び林道が崩れ、車で通れなくなった。6月末に復旧していた電気も使えなくなった。稲刈りでは、収穫したもみを乾燥機にかけられず、納屋に広げて自然乾燥させるため、片道4時間歩いて自宅に通った。 林道は10月下旬に通行できるようになったが、雪が積もると通うのは困難になる。トシ子さんは「これから寒さが心配。雪がたまれば冬が長くなる。ぱっと春が来たら田んぼの準備をしたいね」。 県によると、12月17日現在で応急仮設住宅6410戸に1万3155人が暮らし、賃貸型「みなし仮設」と公営住宅の計3866戸に被災者が入居している。公民館や体育館などに設けられた1次避難所に34人、ホテルや旅館などの2次避難所に3人が避難している。 いまだ、多くの人が自宅で暮らせない状況にある。=おわり(伊藤進之介)
朝日新聞社