思考が停止した部下に「責任感」を自覚させるには 「これをやって」と頼むだけの浅い言い方が組織をダメにする
産業革命期に定着した組織の構造では、作業を実行する人は、どんな仕事をいつどのように行うかを選ぶことはできない。 上司の決定に従うだけなので、作業を実行する人に責任感は生まれず、あるのは服従だけとなる。 しかし、上司と部下が正しく連携をとれば、実行に移すことへの責任感が生まれると、米海軍の原子力潜水艦「サンタフェ」の艦長を務めたマルケ氏は指摘する。 責任感を持った人の言い方はどう変わるのか。マルケ氏がまとめた、リーダーの言い方についての指南書『最後は言い方』から紹介しよう。 【写真を見る】信頼されるリーダーになるための必読書
■選択の自由と、責任の関係 部下に責任感を意識させたいなら、カギとなるのが選択の有無だ。 選択の自由がなければ責任感は生まれない。「イエス」と答えるしかない状況に置かれれば、人は服従するしかない。 服従は、人々に考えることをやめさせる。別の誰かが決めたルール、指示、行動内容に従うことしか求められないからだ。 思考や意思決定という厄介なプロセスから解放されるのだから、服従すればラクができる。おまけに責任まで回避できるときている。
会社で業務上のミスがあると、「言われたとおりにやっただけです」という返答がよく聞かれる。これはつまり、自分に責任はないと言っているのも同然だ。 ほかの誰かが決めたことに、ただ従ったにすぎないのだから。 相手を従わせるのに多くの言葉は要らない。 「これをやって」 「なぜですか?」 「やってほしいからだよ」 「わかりました」 このようなやりとりですむ。上司からすれば、部下への現状説明という厄介で時間のかかる仕事から解放される。しかし、詳しい説明がなければ脆弱な状態が生じる。
決断する人と実行する人を分けていた産業革命期では、服従が生まれるのは自然な成り行きだった。 しかし、いまの時代に求められているのは、連携から生まれる「責任感を持った取り組み」だ(連携をとることについてはこちらの記事も参照)。 ■責任感を持った人の言い方はどう変わるのか 責任感を持って取り組む人の言葉には、業務を遂行するという決意に加えて、一定条件を満たした場合や、一定の業務を行ったあとに意思決定や判断のモードに入るタイミングが含まれる。