「住所不定・無職」をまるで犯罪者のように…「働かない人」に厳しすぎる「日本の大問題」
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】「住所不定・無職」を「犯罪者」のように…働かない人に厳しい法律の大問題 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
「ヒッチハイクの旅」は軽犯罪?
「この夏休み、学生生活の思い出づくりに、日本全国ゼロ円の旅をやりま~す!」。いかにもお気楽な大学生が考えそうな脳天気なというか無謀な計画だ。ところが、この宣言をブログで見た人から、「それは法律に触れるんじゃないの?」という指摘がされた。 その法律とは「軽犯罪法」である。 「軽犯罪法」には、国民に生き方・生活の仕方を強要する部分がある。 本法には34個の行動が列挙されており、もしそれらのどれかに当てはまることをしたら拘留もしくは科料(軽い罰金)という制裁を受けることになる。 いま挙げた例についていうと、「ゼロ円旅」というのは22「こじきをし、又はこじきをさせた者」に該当するのではないかというのである。 「ゼロ円旅」なら他人の情にすがることもあろうが、時には自分でバイトすることもあるかもしれないから、厳密にそれに該当するかどうかは意見が分かれるだろう。 しかしここでもうひとつ気にしたいのが、「こじき」という生活パターンが犯罪に準ずることとして位置づけられていることである。 他人の財物を盗んだり強奪したりすれば犯罪になるが、ただ他人の情にすがって生きていくだけのことが、なぜ同じように見られるのだろうか。
「住所不定・無職」は犯罪者予備軍か
「大乗仏教を確立したうちの一人、ヴァスバンドゥという人は、他人に食べさせてもらいながら思索を深め、壮大な仏教的宇宙観を展開したと言われている。そういう生き方にも立派に意義があるのだ。 にもかかわらず、日本では法律によって労働する生き方が強要されているのである。 四にはこうある。「生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの」。 つまり会社にも土地にも縛られたくないという自由追求者、「働いたら負け」の信条を貫き、風のように気ままにさすらう生き方をする人間は、処罰されるということである。 日本ではよく事件報道で容疑者について「住所不定・無職」であることが強調され、あたかも「住所不定・無職」イコール犯罪予備軍であるかのような印象付けがなされているが、それが法律化されているといえよう。 定職に就き、決まった住所に定住する生き方をしなければ人として問題ありとされ、処罰されてしまうのである。生き方の強制だ。 だが、「住所不定・無職」が必然的に他者に危害を加える原因になるといえるだろうか? 放浪する心優しいフリーターという生き方にどこか問題はあるだろうか? ここでは、法律が国民に特定の生き方を強制することの問題点をもう少し掘り下げてみようと思う。 さらに連載記事<「真面目すぎる学生」が急増中…若者たちを「思考停止」させる「日本の大問題」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美