左膝じん帯断裂から「奇跡の復活を遂げた」男…90年9月8日に巨人のリーグV決めたサヨナラ本塁打
創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第37回は吉村禎章。 【写真】ルーキー原辰徳の華 多摩川キャンプにファン1万人と警察官15人&パトカー3台 * * * 吉村禎章は「奇跡の復活を遂げた」男だ。 1963年4月27日、奈良県出身。PL学園で81年春、全国制覇を果たし、同年のドラフト3位で巨人に入団した。 2年目の83年、84試合に出場、規定打席不足ながらも打率・326をマーク。背番号は「55」で、「50」の駒田徳広、「54」の槙原寛己と50番トリオと呼ばれた。 84年に右翼のレギュラーに定着。85年には打率・328で初の3割打者となり、86年から背番号は「7」に変わった。87年に30本塁打、86打点と主力打者に成長する。 88年7月6日の中日戦(札幌円山)では通算100号を達成。しかしこのゲームで運命が変わった。左翼の守りで中堅手と交錯し、左膝じん帯断裂の重傷。名医フランク・ジョーブ博士の執刀を受ける。 選手としての復帰どころか日常生活にも支障があると言われながらも、2度の手術と懸命なリハビリを経て、89年9月2日に復帰。90年は84試合に出場し打率・327、14本塁打。9月8日には、サヨナラ本塁打でリーグVを決める劇的な活躍で、カムバック賞を受賞した。 その後は主に左の代打で貢献し、98年に引退。コーチ、2軍監督を歴任し、現在は編成本部長。
報知新聞社