「難度の高い仕事に取り組む」トンボ飲料 120年以上の歴史に根差し独自の社員提案制度を実施
ビー玉が底まで落ちるため泡が吹きやすいという欠点には、創業者が木目の荒い杉材製の「玉押し」を考案。木目を透かして炭酸を逃がすことで解決した。 ラムネに続くラインアップとして「ラボンサイダー」も考案。ラボンとは遠い南国をイメージした空想の産物で「レモンのような、ピーチのような、オレンジのような…不思議な味わい」(翠田辰次郎氏・談)に仕立てられ、富山県では一世を風靡した。
1945年(昭和20年)8月、米軍の富山大空襲により富山市全域が焼失。ラムネ工場も失われた。二代目・翠田邦志氏はその焼跡に立ち尽くすも、すぐさま「トンボラムネ」の再生を決意。直ちに工場を再建し、ラムネの製造を再開した。 高度成長時代のキャバレーのお土産だったシャンメリーをファミリーユースに育てて、米国ローヤルクラウンコーラ社と北陸エリアでのフランチャイズ契約を締結して「RCコーラ」を学校周辺マーケットに浸透させたのは三代目・翠田康志氏。 三代目とともに戦後のトンボ飲料の歴史を担ってきた四代目・翠田福三郎氏は、アイスクリームの過大投資後の資金需要の苦しいトンボ飲料の屋台骨を懸命に支えた。 五代目・翠田章男社長は先代の流れを引き継ぎ新事業に挑戦。受託生産事業を中身開発に踏み込んだODM(オリジナル・デザイン・マニュファクチュアリング)事業へと発展させる。