6年ぶり再タッグのドラマ主題歌で話題の小田和正、オフコースの原点は学園祭のホールステージだった!?
『時は待ってくれない』#1
伝説のバンドグループ、オフコースはいかにして生まれたのか? その原点は、高校時代の学園祭までさかのぼる。まさに青春をぶつけて練習し、満員のホールで演奏を披露した経験は、いまも「すばらしい思い出」と小田和正氏は聞き手の阿部渉に語る――。 【画像】学園祭で演奏をする高校3年生の小田和正 本稿は、小田和正著『時は待ってくれない 「100年インタビュー」保存版』(PHP文庫)を一部抜粋・再編集したものをお届けする。
学園祭でのステージがオフコースの始まりだった
──音楽にのめり込んでいった小田さんが、のちにオフコースで一緒に活動する鈴木康博さんと、最初は中学受験のために塾に通う電車のなかでお会いになったとか……。 小田和正(以下、同) 康(やす)とは京浜急行で会ったんだ。 ──受験して入学した中学でまた一緒になったんですね。 どこで親が聞いてきたんだか、聖光学院という新しい学校があるから、そこへ行ったらどうだって言われて、受験したんだけど、受かったら康もいて、「なんだ、お前、京浜急行のときの康じゃん」みたいなね。 康とは学校からの帰り道が一緒だったから、一緒に歌ったりしてたんだよ。ビートルズの『恋する二人』とかハモッて、「あ、こいつはハモるな。こいつは歌えるぞ」って思ったりしてね。 ──いまは新しいホールになりましたが、高校3年生のときに、聖光学院のホールで学園祭のステージに立たれたんですよね。鈴木さんと、もう一人のオフコースメンバー、地主(じぬし)道夫さんも一緒に。 そうそう。このホールで、おれたちがやる前年の聖光祭のときに、先輩が、たしか四人だったと思うけど、ゴスペルをアカペラで歌ったのよ。それがかっこよかったんだ。それで、来年、あそこのステージに立つのは自分たちだと思って。 ──演奏することを、もう決めていたんですか。 うん、決めた。本気で決めた、冗談じゃなく。「よし、あそこに立つぞ」と思った。それで彼らを誘って、おもにブラザース・フォア(1960年代に人気を博したアメリカのフォークソンググループ)の曲を4、5曲、練習したんだ。 聖光祭は2日間あって、初日の午前中っていう、とっても分の悪い時間帯にやることになったんだけど、ぜいたくは言えないし、まあいいやと思って、それに向かってすごい練習をした。 ただ、おれのなかでは、おれたちがこんなにがんばっていいことをやろうとしてるのに、初日の午前中だけで終わるわけがないと思ってたの、じつは。 当日は結構うけて、「終わった、終わった。よかった、よかった」って言ってたけど、これで終わるはずはないって本当に思ってたんだよね。 そしたら先生が、「君たちは2日目の閉会式の前に、もう1回演奏しなさい」って。「してください」じゃなくて「しなさい」と言ってくれて、同級生もみんな、「オーッ」と盛り上がったけど、おれはやっぱりなって、ひそかに思ってた。 2日目の閉会式の前だから、お客さんはもう満杯ですよ。しかも、近くの学校の女子もたくさん来ていて。そこでやって、また大うけでね。すばらしい思い出です(笑)。