根尾に田尾に近藤真一に!竜のドラフト史に刻まれた"その瞬間"の記憶
今年もプロ野球のドラフト会議が迫ってきた。中日ドラゴンズにおける、筆者の記憶に残る最も古いドラフトの記憶は、1969年(昭和44年)早稲田大学のスラッガー谷沢健一選手の1位指名だが、その後も多くのドラマが生まれてきた。半世紀以上の数々の記憶の中から、印象に残る竜の3つのドラフト指名をふり返る。 【動画】帰国するビシエド…柳がサプライズで会いに来た瞬間がこちら【3分21秒~】
近藤指名にガッツポーズ
そのガッツポーズに、竜党は歓喜した。1986年(昭和61年)のドラフト会議で、就任したばかりの星野仙一監督は、5球団競合となった近藤真一投手(現・真市)の指名権を勝ち取った。その瞬間、唇をギュッと結び、得意気に右手を突き上げた39歳の青年監督に"野球の神様"の微笑みを見た思いだった。 近藤投手は、翌年の夏、ルーキーながら讀賣ジャイアンツを相手に、プロ入り初登板初先発でノーヒットノーランを達成した。何よりも、新しい監督を迎えたチームにとって、勢いをつける"当たりくじ"だった。その翌年のドラフトでは、これも星野監督が抽選に勝って、PL学園の主将だった立浪和義選手を獲得した。"燃える男"と言われた監督らしい気合いでの"幸運の獲得"だった。
田尾指名は電話で知った
テレビ中継も、インターネットもなかった時代、1975年(昭和50年)のドラフト指名結果は、高校時代の校舎内で知った。授業の休み時間に、ひとつしかない公衆電話を使って、ドラフト会議での指名が終わる頃を見計らって、名古屋市中区の中日ビルにあった球団事務所に電話した。「誰を指名しましたか?」という高校生の問い合わせに、親切に答えてくれた。 1位指名した選手の名は「田尾安志」。同志社大学で投手としても野手としても活躍し、入団後は、その甘いマスクと巧みなバットコントロールで一躍スター選手となった。新人王にも選ばれ、のちに3年連続で最多安打のタイトルを取るなど、今なおファンの心に残る名選手である。
根尾指名に地元は歓喜
ドラゴンズファンはもちろん、普段は野球にあまり関心のなさそうな地元の人たちまで喜ばせたのは、記憶に新しい2018年(平成30年)ドラフト会議での、根尾昂選手の1位指名だった。この時も就任したばかりの与田剛監督が、4球団競合の"二刀流"の当たりくじを引き当てた。東京からドラゴンズファンの友人が名古屋へ向かっている途中で、新幹線車内に速報の連絡を入れた上、合流して祝杯を挙げた。 翌日には、それまで野球の話もしたことがなかった近所のクリーニング店のおばさんまでが、その指名を大喜びしていた。これで竜のショートは10年以上安泰だと信じ、待望の全国区スーパースターが誕生すると夢見た。そんな根尾選手にも、プロで6年の歳月が流れた。その立ち位置は確立できていない。ドラフト当日の感激が、今なお余韻として残るだけに、その覚醒が待ち遠しい。