三十過ぎまでギャル服、四十年間独身だった鈴木涼美が、「変わっちまう」友人たちを見送る寂しさを乗り越えられたわけ
作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」。本日お越しいただいた、悩めるオンナは……。 【写真】31歳の鈴木さん、最後のキャバ嬢撮影 Q. 【vol.30】ライフステージが変わった友人と話が合わなくて寂しいワタシ(30代女性/ハンドルネーム「うどんこ」) 結婚や出産、仕事など、ライフステージがそれぞれ変わり、同じステージにいない女友達と何となく話が噛み合わなくなってしまう時の寂しい気持ちをどのように乗り越えたらいいですか。たとえば親しい友人が妊娠した時、「ああ、またひとり一緒に旅行に行ける友達が減ってしまうのか……」と、素直に喜べない自分が悲しいです。 A. 空いた時間は新しい出会いに費やすのがいい 私は院生時代も含めると七年間大学にいたし、三十過ぎるまでギャル服を着ていたし、四十年間独身だった往生際の悪い人間なので、常に「次のステップ」に行く友人たちを見送る側、悪く言えば取り残される側でした。そして前を向いて新しいステージに立とうとする人に対して割とネガティブに「なんでみんな変わっちまうんだ」という気持ちを抱いていたし、できれば私の友人はずっと若い時と同じような遊びを若い時と同じようなテンションでやり続ける独身でいてほしいと願っていました。 だって二十二歳になって友人たちの一部が昼間の企業で働きだすと、それまで同じように金欠で同じように朝まで暇で同じように退屈していた女たちが、いきなり偉そうに「仕事で朝早いから~」とか「学生はいいな~夜職はいいな~気楽で」とか言い出すし、ゴミのように遊んで何も生産的なことをしていなかった友人が結婚出産を経て、脳に電磁波でも浴びたかのように「子どもの教育は~」とか「お受験はどうしてもするから~」とか言い出すわけです。
■自分の停滞を人のせいにして、すねていた インスタも書くものも子どもばかりになってしまった友人を見ては、ほんと子ども産むとみんなつまんなくなって嫌だと思っていました。いくつになっても、あそこの歓楽街のホストが最近アツいらしいとか、あそこのクラブのVIPは結構いい客が来てるとか、来週シンガポールで爆買いしようよとか、そんな話だけしていたいこちらとしては実に納得がいきません。 そんなわけで自分がくさくさしていたり停滞していたり、あるいはずっと若いままでいたいのにそういうわけにもいかなくて悲しい、と思ったりすることを、すべて人のせいにして生きてきたので、「素直に喜べない自分が悲しい」と感じてしまうのはむしろとても奇特な方だなぁと感心してしまいます。私はそんな殊勝なところはないので、「ほんとアイツらは変わっちまったぜ」と基本的にすねていましたし、今もその精神性はそんなに変わっていません。 ただ、そういうこちらもまったく変わらずにいるのは不可能。時期が来れば学校は卒業するし、身体は老化したり太ったり疲れやすくなったりするし、若手のつもりでいた職場で中堅になっていたりもする。そういう自分の変化は必然的なもの、仕方がないものとして処理して、他人の変化は「おもしろくない」と感じる私はちょっと都合がいいとも思います。 要はみんな自分の人生の歩幅も好みも方向もそれぞれなわけで、あらゆる事情が違う人間が同じ空間で机を並べていた学生時代のほうが異常で特殊といえば異常で特殊なのであって、その時代に似たような生活を送っていたものが、時間とともにまったく違うステージに立っているのは当たり前なのです。相手は相手で、あの人はなんか遠くに行ってしまったな、とか、自分とはもう価値観から何から違っちゃっただろうな、とか思っているかもしれません。