「遠のく戦争は買い」暴落株買い占め 去り際は潔く A・カーネギー(下)
鉄鋼王、アンドリュー・カーネギーの投機の成功は、ビギナーズ・ラック(初心者の僥倖<ぎょうこう>)で始まりました。それからも「触れるものすべてを黄金に変える」と言われるほどの成功を重ねていきました。その後、カーネギーはどのような投資家人生を歩んでいったのでしょうか? 市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。
周りの制止振り切り、大暴落のキーストン株を買い占め
A・カーネギー(1835-1919)は自伝の中で「私は一生のうち1回しか投機的な株売買をしたことがない」と語っている。だが、その足跡を見ていくと何度となく投機を試み、ことごとく成功している。まれにみる「投機の達人」「市場の名人」といえるだろう。カーネギーが「ただ1度の投機」と呼んでいるのは、南北戦争のころ(1861-65)、暴落したキーストン橋梁製作所の株を買いまくった一件であろう。 彼は、キーストン社は将来非常に有望な会社だと信じ、手持ちの全資産をこの株に投じた。しかるに不運なことに間もなく南北戦争が起こって事業は大打撃を受ける。キーストン社も設立早々とあってほとんど破産状態に陥り、株は大暴落、タダ同然となる。この時、カーネギーは自分に言い聞かせた。 「戦争は永久のものではない。戦争さえ終われば、キーストン社もよみがえる。それまで踏ん張っていればいいのだ。大多数の株主が投げ出した株を全部買い占めてやろう」 こう確信したカーネギーは暴落株を買いまくる。昔から「遠くの戦争は買い」と相場格言にある。だが、足元で戦火が広がっている中で買い進むのは尋常ではない。知人や先輩は彼の暴挙を戒めるが、聞く耳を持たない。全株式の3分の2を買い占めてしまった。これには株式仲買人たちもあきれ果てたという。 やがて、戦争が終わり、キーストン社の事業も軌道に乗ってくる。増資の発表には応募の申し込みが殺到し、株価は一足飛びに20~30倍に暴騰する。カーネギーは25万ドルの巨利を占め、鉄鋼事業などに進出する資金はでき上がった。