ブラジルで人口の約7割が利用する電子決済「PIX」は、なぜクレジットカードを超えるほどの市民権を得たのか?
ブラジル中銀がPIXを始めたのは2020年11月16日だ。ほぼ1年後の21年12月時点の個人利用者数は1億979万人、法人の利用は854万社まで増えていた。その後も順調に増加して24年6月時点では1億5680万人、1652万社だ。利用者数は全人口2億1400万人のうち、約7割に達している。成人で利用していない人はほぼいないような状況だ。 ■ 投げ銭は電子送金で ダニロ・アンドラジ(32)は毎朝、サンパウロのビジネス街パウリスタ大通りに「出勤」する。子供を肩車して、手にはメッセージを書いた紙を掲げる。「助けが必要です。4人の子供がいますが、失業中です。困難な状況に陥っています」。赤信号でとまった車両の間を歩き、運転席に座った人に小銭を求める。ここまでならよくある光景だ。 アンドラジが掲げる紙には「PIXも持っています」と、「口座」に相当する11ケタの数字が書かれている。PIXについて書いたのは2021年11月に遡る。 ある日、いつものように小銭を求めて車両の間を歩いていたところ、車に乗っていた女性から「小銭はないけど、PIXでなら送るわよ」と声をかけられたのがきっかけだ。それ以来、8人からPIXで小銭が届いた。それぞれは「20レアル50レアルぐらい」だが、貴重な「収入」となった。 中銀のロベルト・カンポス・ネト総裁はPIXの導入から1年を迎えた21年11月、「毎月のようにPIXの利用は伸びている。足元の状況は予想を上回った」と喜んだ。 なぜこのように活用が急速に広がっているのか。理由は便利だからにつきる。利用者は携帯電話や電子メールアドレスなどの中から「PIXキー」を選んで登録し、自らの口座とひもづけるだけで登録は終わる。PIXに専用のアプリは必要なく、各自が持つ金融機関のアプリを通じて送金を実行する。
「PIXキー」から相手を探し、送金先を設定する仕組みだ。相手の口座情報も必要ない。平日の昼間はもちろん、休日、夜間でもわずか数秒でお金を送れる。電子商取引の場合はパソコンに表示されるQRコードを読み取ることで手続きでき、店頭でもスマートフォンで読み取れば、簡単に支払いが完了する。現金を持ち歩く必要性は劇的に低下した。 小売り大手ポンジアスカルのフレデリコ・アロンソ取締役は「現在は現金やデビットカードを使っている支払いの大部分がPIXに置き換わる可能性が高い」とみている。電子商取引大手メルカドリブレでは22年時点で、出店者の7割がPIXに対応していた。対応している店舗の売上高は、未対応の店舗よりも平均で1割多いという。 ■ クレジットカードを上回る決済数 PIXの2023年の年間決済件数は約420億回で、金額は17兆レアルだった。2023年10~12月の決済件数は約131億回と、デビットとクレジットカードの合計(約120億回)を上回り、逆転した。 オンライン決済を仲介するイーバンクス(EBANX)の報告書は、電子商取引(EC)でのPIXの決済額は24年の1110億ドルから26年には1845億ドルに増えると予測している。占有率は24年の34%から26年には40%となり、クレジットカード(42%)に匹敵すると予測している。 銀行の口座から振り込む場合には1件あたり1020レアル程度の手数料がかかるのが一般的だ。個人でPIXを使う場合は手数料がかからない。国際通貨基金(IMF)が23年7月に公表した報告書によると、企業がPIXを使う場合は取引額の0.33%かかる。 それでもデビットカード(1.13%)やクレジットカード(2.34%)に比べると大幅に安い。銀行振り込みが減る一方で、全体の決済数は増えている。PIX経由で電子決済を使う人が増えて、送金需要を喚起している実態が浮かぶ。