元日にボクは死にかけた 部屋中に散乱する下血、意識混濁、血圧降下、そして救急搬送… 水道橋博士の藝人余録/7
◇テレビで能登半島の悲鳴を聞きながら/「下部消化管出血」という危険な病名/まさに「命あっての物種」 鬱病を発症して「議員失格」となった自身のことを振り返る前回は大きな話題を呼んだが、その後の博士を、今度は重篤な病気が襲った。しかも今年元日に。死なずにすんだ博士が、持ち前の「記録への意志」を発揮して、その全経緯を詳細に辿り直す――。 《地上最大の当然事―― 他人の死、 地上最大の意外事―― 自分の死》 と、名著『人間臨終図巻』に書いたのは作家・山田風太郎(2001年没)ですが、その「意外事」寸前の出来事が今年の元日、我が身に起きたことを今回は語りたいと思います。 2024年元日。 大晦日(おおみそか)に歌舞伎町で朝5時までライブと配信番組に出演後、自転車で1時間かけて朝6時に帰宅。1年の計である日にもかかわらず、いぎたなくも午(ひる)過ぎに起床しました。 旧年は鬱(うつ)病が再発し、参議院議員辞職までしたボクも、自転車でUberEatsの配達員ができるほど元気になったつもりなのですが、体調面で気になることは排便時に下血が続いていることでした。年末に人間ドックを受診したところポリープが2カ所見つかりました。12月25日に掛かりつけの医院で日帰り手術コースで全身麻酔を施し、S状結腸のポリープを除去。そして直腸のポリープを焼却しました。直腸の方は肛門と近いため傷痕を留めている器具(クリップ)が取れて大出血のおそれもあるとのことで、2週間の禁酒を念押しされましたが、年末27日のライブの打ち上げでついつい飲酒をしてしまいました。 そして迎えた元日の16時過ぎ、能登半島で地震が発生します。想定外の大地震で、当初から津波警報が出されTVが次々と特番に変わっていきました。あの辺りは原発銀座であることからも3・11以来の緊張感が募りました。そんな時に便意が更に頻繁となり、ついに8回連続下血が続くと、文字通りに顔面から血の気が引きました。