気鋭、中島梓織主宰のいいへんじが2025年8~9月に新作『われわれなりのロマンティック』を上演
中島梓織主宰「いいへんじ」が、2025年8月~9月、東京・三鷹市芸術文化センター 星のホールにて、クワロマンティックの男女を描く新作『われわれなりのロマンティク』を上演する。 三鷹市芸術文化センターが2001年より手がけているMITAKA “Next” Selection。これまで数々の新進気鋭の劇団に上演機会を与えてきたが、2025年開催の26回目に上演機会を得た劇団のひとつが、いいへんじだ。早稲田大学出身で、2016年に結成され、2017年に旗揚げ。下北ウェーブ、芸劇eyes番外編に選出、またこまばアゴラ劇場主催プログラムに参加するなど、着実に活動の場を広げている。主宰の中島は、個人的な感覚や感情を問いの出発点とし言語化にこだわり続ける劇作と、くよくよ考えすぎてしまう人々の可笑しさと愛らしさを引き出す演出が特徴というが、『夏眠/過眠』で第7回せんだい短編戯曲賞最終候補、また『薬をもらいにいく薬』で第67回岸田國士戯曲賞最終候補と、注目度を高めている書き手だ。 本作で中島が取り上げるのは、クワロマンティック、つまり、自分が他者に抱く好意が恋愛感情か友情か判断できない/しないこと。フェミニズムサークルで出会ったクワロマンティックの男女が、自分たちと友人たちのパートナーシップに向き合い、試行錯誤し続ける十年間の物語を描く。「ともに考える“機会”としての演劇作品の上演を目指す」という彼らが、どんな世界を打ち出すのか、注目される。 ■いいへんじ主宰、作・演出 中島梓織「上演にあたって」全文 クワロマンティックとは、自分が他者に抱く好意が恋愛感情か友情か判断できない/しない恋愛的指向(romantic orientation)のことです。 思えば、これまでずっと、誰かに対する強い想いを「好き」という言葉で解釈するまでに、高いハードルを越えなければならない感覚がありました。 めっちゃ好きではある。でも、「好き」という言葉にすると、当然のように「性的欲求を伴う恋愛感情」と捉えられてしまう。いやいやそうじゃない、それだけでは捉えきれない感情があるんだよ、という強い違和感を抱く。でも、「好き」という言葉にしないと、相手にも周りにも共通言語として伝わらない。友人たちには、ただの言い訳だと捉えられたこともあります。 だから、暫定的に「好き」という言葉を使っていました。 ほんとうは、「恋人」や「友人」というラベリングをせずに、親密な関係を構築できたらどれだけいいだろうと思っていました。わたしが大切な人のそれぞれに対して抱く感情は、いわゆる「恋愛感情」と「友情」のグラデーションの中にあり、築いていきたいのは、ひとりひとりとの固有の関係だからです。 だから、クワロマンティックという言葉と出会ったとき、この感覚に「名前」があったことに、判断しないという選択肢があったことに、救われた気持ちになりました。 とはいえ、相手に合意と確認を取るための、第三者に説明や証明をするための、関係性の「名前」がないことは、それなりに不安なままです。 「名前」は、ときに救いとなり、ときに呪いとなる。これまでのいいへんじの作品でも何度も取り扱ってきた、終わりのないテーマです。 けれどもやっぱり、社会で当たり前とされている恋愛・結婚・家族に当てはめられてしまうのは、どうしても納得いかないのです。「家族の一体感」? なんじゃそりゃ!です。 そこからいかにへらへらと逸脱していくかを企みたいし、恋愛至上主義・異性愛主義・家父長制に、わたしなりのやり方で抵抗していきたいと思っています。 いつものことながら、わたしの極めて個人的な感覚から出発した物語なのですが、これを演劇という形で社会に開いていきたいのは、稽古場で、劇場で、みなさんとおしゃべりがしたいからです。それぞれの「われわれなり」を共有し肯定し合える世界を、たとえ小さなところからでも、つくっていきたいからです。 シンプルに名前をつける代わりに、問いに向き合い対話を繰り返すことは、苦しいことでもあるけれど、幸せなことでもあると、わたしは信じています。 <公演情報> いいへんじ『われわれなりのロマンティック』 2025年8~9月 東京・三鷹市芸術文化センター 星のホールにて上演 出演: 飯尾朋花 小澤南穂子/奥山樹生 小見朋生 川村瑞樹 谷川清夏 冨岡英香 百瀬葉 藤家矢麻刀