「国境通信」オクラを作ろう!ようやく動き出した事業 川のむこうはミャンマー~軍と戦い続ける人々の記録#5
2024年3月にこれまで勤めていた放送局を退職した私は、タイ北西部のミャンマー国境地帯に拠点を置き、軍政を倒して民主的なミャンマーの実現をめざす民衆とともに、農業による支援活動をスタートさせた。 【写真で見る】オクラを植える準備が進む農地 当初柱にすえていたベビーコーンの栽培は思ったほど収穫ができなかった。しかしここにきてベビーコーンにかわる期待の野菜がみえてきた。オクラだ。小さな前進に、私は思わずガッツポーズをしていた。
ベビーコーンは”人気がない”野菜だった
キュウリとわずかなベビーコーンの収穫を終えたアインの農園は、次に何を栽培するのか検討中で、農地は広く空いている状態だった。 小さな区画で唯一、栽培されていたのはオクラ。以前、テスト栽培用に日系企業が提供してくれたオクラの種が余っていて、自発的に植えてみたのだという。この日系企業が事業の協力企業であり、この企業にとって需要のある野菜を避難民の人々に生産してもらえるようにすることが、私がまず最初に取り組まなくてはいけないことだった。 その野菜の第一候補がベビーコーンなのだが、避難民にとっては馴染みがなく、はっきり言ってしまうと人気がない。そのため、半年以上が経過したにもかかわらず、事業に参加してくれる避難民は少なく、ベビーコーンの栽培は本格的なスタートすら切れていない状態だった。 アインが自主的に栽培していたオクラは、農業の素人である私では発育状態の良し悪しなどの判断がつかないが、青々と力強い葉っぱが茂っていて、アインも手応えを感じている様子だった。
「オクラの方がリスクが少ない」 避難民アインの言葉
アインは「ベビーコーンよりオクラの方がリスクが少ない」と言った。その理由は、地元市場における2つの野菜の価値の違いによるものだとわかった。 以前ベビーコーンを収穫した際、アインは少量を地元の市場に持っていって、売ろうとしてみたのだという。しかし、しかしどの業者も買いたがらなかった。この街の市場にはベビーコーンを買い求める客などほとんどいないのだ。 しかし、地元でも需要があるオクラであれば、もし栽培に失敗して日系企業が買い取る品質にはならなかったとしても、地元の市場で売ることができるため無駄にはならない。そこが安心材料になっているから、彼らとしてはオクラは、ベビーコーンよりもずっと取り組みやすい野菜なのだと理解できた。