「国境通信」オクラを作ろう!ようやく動き出した事業 川のむこうはミャンマー~軍と戦い続ける人々の記録#5
問題は「ビジネスとして成立するか」
私は協力企業の担当者に電話して、アインがオクラの栽培を始めていて、どうやら順調そうだということ、避難民にとってもベビーコーンよりオクラの方が取り組むハードルが低いことなどを話し、事業として取り組む野菜をオクラからスタートさせるべきではないかと伝えた。 事業の進捗が思わしくないことは、もちろん企業側もわかっている。むしろ、私のように自分がやりたくて勝手に活動しているのとは違い、ビジネスとして成立するかをよりシビアに判断しているはずだ。 担当者は電話口で少し思案している様子だったが、最終的に栽培する野菜をオクラに変更することを了承してくれた。
アインがやる気になった 思わずガッツポーズ!
早速、アインに「次のシーズンは、日本のオクラの種を植えないか。農薬などの基準を守り、品質をクリアすれば、日系企業が買い取ってくれる」と伝えた。 アインは、「オクラでいいなら、ぜひ一緒にやりたい」と言ってくれた。私は思わず、小さくガッツポーズをしていた。 まだ種も撒いていないのに気が早い話だが、事業の未来にわずかに光が差したような気がしたのだ。少しの前進をこのように感じてしまうくらい、この事業の先が見えていなかったとも言える。そして何よりも、ようやく本腰を入れて一緒に事業に取り組んでくれる避難民の仲間が出来たことが嬉しかった。
種植えは1か月後に やることは山積み
アインは避難民の若手の中でも行動力があり、皆から信頼されている。農園にはいろいろな背景を持った避難民がひっきりなしに訪れ、生活上のさまざまなトラブルをアインに相談する。 ミヤワディ周辺で戦闘が激化して以降は、焼け出されてしまったいくつかの家族をこの農園で受け入れることもしている。 そんな彼に対して、私は心から尊敬の念を抱いているが、同時に、「彼と信頼関係を築き、一緒に事業に取り組むことが出来れば、彼と繋がっている多くの避難民もこの事業のことを理解し、参加してくれるようになるのではないか」と、少し打算的かもしれないが、そんな期待もしていた。 アインと一緒にオクラの栽培を始められることは、この事業にとって大きな意味を持つと思われる。しかし、すべてはオクラの栽培に成功してからの話だ。 企業側の担当者に国境地帯を訪れるタイミングを調整してもらい、栽培方法を避難民にレクチャーする日も決めた。 種を植えるのはおよそ1か月後。それまでに畑を整備して、水を確保して、作業にあたる人員を集めなくてはならない。 やらなくてはならないことが山積みだ。「成功させなければ」というプレッシャーも感じるが、やるべきことが分からないもどかしさからようやく解放されて、心はむしろ晴れやかだった。 (エピソード6に続く) *本エピソードは第5話です。