モンゴルだからこそ出会えるユーラシアの多国籍料理を食べ歩く
アゼルバイジャン料理の店で驚く
次に紹介するのは「コーカサスレストラン(Caucasia Restaurant)」という名の店で、アルメニア、ジョージア、アゼルバイジャンなどの料理を提供している。 この店は、2003年オープンのモンゴルで最初のコーカサス料理店。内装はいかにもエキゾチックで凝っている。筆者が2年前に訪ねたモダンなモンゴル料理店「モダンノマズ」と同じ系列の店で、当初は外国人観光客向けの店だったという。ニンジンさんも日本から来たツーリストをよく案内したそうだ。 「モンゴルでは草原のゲルで遊牧民が出してくれるホルホグのような素朴な料理もおいしいけれど、コーカサスの料理を出す店があることも知ってもらいたかったから」と彼女は話す。 中央アジア風炊き込みご飯のプロフを頼んだら、この店ではモンゴル人の好きなサーロがのっていて、この国の人の好みに合わせたのかもしれないと思った。 庶民的な多国籍料理の店もある。レストランというより食堂風のウズベキスタン料理店「シャシリクプロフ(Шашлик плов)」だ。 約20年前にオープン、市内にはいまでは8店舗もあるそうだ。ハラール料理の店で、アルコール類はないが、気軽に中央アジアの味覚を楽しめる。メニューは中央手前から時計回りに以下のように並ぶ。 シャシリク(中央アジア風バーベキュー) シャウルマ(ドネルケバブを小麦粉の皮に包んだ軽食) プロフ(羊の炊き込みご飯) シェフはイスモイルさんといい、タシケント出身のウズベキスタン人だ。昨年モンゴルに来たばかり。見ているとすぐ気づくことだが、モンゴル人に比べウズベキスタン人は人懐っこいところがある。ウエイトレスの女性はモンゴル西部に住むカザフ人だった。顔立ちはモンゴル人とはまるで違う中央アジア系である。
帰還兵のアゼルバイジャン料理の店
そして今回の取材でいちばん驚いたのは、アゼルバイジャン料理の店「アゼルバイジャン・カラバフ・レストラン・モンゴリア(Azarbaijan Karabakh Restaurant Mongolia)」だった。 2024年4月にオープンしたばかりだが、オーナーは、2023年9月、アゼルバイジャン内陸部のアルメニア住民の多いカラバフ地方で起きた軍事衝突に従軍した帰還兵だった。アゼルバイジャンに住む彼の父親に出資してもらい、店を開いたという。 わき腹の銃創を筆者にいきなり見せて、彼は陽気に笑いながら「日本人は大歓迎だ」と話しかけてきた。そして、注文してもいない料理をいくつかサービスしてくれたのだった。ゆえに料理名が不明なものもあるが、手前から時計回りに次のように並ぶ(記事冒頭の写真を参照)。 ドルマ(ブドウの葉の肉の詰め物) 羊のケバブ チョパンサラダ(「羊飼いのサラダ」と呼ばれるトルコ風サラダ) プロフ ボズバシュ(アゼルバイジャンの国民的スープ)ほか 筆者はアゼルバイジャン料理を極東ロシアのウラジオストクやハバロフスクのレストランで食べたことがある。こうしたことからも、かつてモンゴルも旧ソ連圏の一部だったことがわかるのである。 インド料理店「ハザーラレストラン(Hazara Restaurant)」は、ユーラシアつながりではないのだが、その出店経緯を聞くと、興味深かった。 オープンは1997年で、この街の外食の歴史からすればかなり黎明期の店ともいえる。インド人のオーナーが、モンゴルに来たのは民主化の翌年の1991年だったという。当時イギリスの化粧石鹸やヘアケア製品のLUXの営業マンだったが、引退後、ウランバートルに残り、この店を始めたのだという。 彼は「モンゴルは民主主義の国、インドや日本と同じ仲間だ」と筆者に話しかけてきた。店内には、リチャード・ギアをはじめとした欧米の有名人が多数来店した写真が貼られていた。もっとも、前述のニンジンさんは「インド料理はモンゴル人の好みには合わないせいか、この店の客層は海外から来た人たちが多いようだ」とそっと教えてくれた。 この店では、北インド料理をメインに提供しており、以下のようなメニューを注文した。 バターチキンカレー ローガンジョシュ(カシミール風の真っ赤なカレー) チキンティッカ(骨なしのタンドリーチキン) シェフは仏教の聖地でもあるガヤー出身で、ウエイトレスはこの店でもカザフ人だった。