モンゴルだからこそ出会えるユーラシアの多国籍料理を食べ歩く
ウランバートルはモンゴルの首都である。フレンチやイタリアン、和食のような、どこの国の都市にでもある外国レストランはふつうにある。しかし、この街で面白いのは、モンゴルがかつて政治・経済・社会・文化的な影響下にあった旧ソ連邦のユーラシア圏に広がるコーカサスや中央アジアなどの多国籍料理のレストランにいくつも出会えることである。 これは、東京に中国語圏のガチ中華や韓国料理、ベトナム料理など、東アジアの国々のレストランが多いことと似ている。このユーラシアの多国籍料理は、地理的な近さと近年のグローバル化がもたらしたモンゴルならではのグルメシーンともいえるだろう。 筆者が今回訪ねたこれらの多国籍料理店について、現地でアイリスツアーズという旅行会社の代表を務めるニンジンさんに解説していただいた。彼女は1960年代生まれのモンゴル人で、旧社会主義時代と今日の民主主義で資本主義下にあるモンゴルの両方を知る人物だ。 実を言うと、前回のコラムの取材の際、モンゴルのロシア風の日常グルメの世界を案内してくれたガイド氏は、1988年生まれで社会主義の時代を知らないバイナさんという日本への留学経験もある男性だった。 世代の異なる2人の語るモンゴルの食にまつわる話は、筆者にとっては民主化以降のモンゴル社会の変容を理解するうえでずいぶん参考になった。 ■ロシア料理と言えばウクライナ料理 まずロシア料理店の話から始めよう。今回紹介するのは、前回のようなカジュアルな食堂ではなく、正統派の「リラレストラン(ЛИРА Ресторан)」だ。 ウランバートル市内によくあるロシア建築の洋館を改装した店で、店内は格調高い落ち着きが感じられる。メニューを見ながら赤ワインとおなじみのロシア料理を注文した。中央手前から時計回りに、以下のようなメニューだった。 ロールキャベツ 黒パン ボルシチ ペリメニ(ロシア風水餃子) キエフサラダ(ウクライナ風サラダ) これらの料理は、筆者が親しんできた極東ロシアのウラジオストクのレストランの定番メニューでもある。 前回のコラムのガイドである若いバイナさんによると「ロシアレストランというのは、自分たちの世代はあまりなじみがなく、母親の世代がなにかの記念日に正装してディナーを楽しむような店というイメージ」ということだ。 一方、彼の親の世代でもあるニンジンさんは、父親がモスクワ大学留学組だったこともあるが、子供時代はロシア風料理が日常食で、朝はパン食だったという。「黒パンにバターを塗って、砂糖をかけて、それにサーロ(ウクライナ料理の豚の脂身の塩漬け)をのせて食べるのが好きだった」そうだ。 またニンジンさんは「この店のオーナーはウクライナ人で、モンゴル語をうまく話す女性」だと言う。以前はウランバートルにはウクライナ料理店が数多くあったが、ここ数年、閉店する店が増えたそうだ。それは新型コロナの影響だったのか、ロシアによるウクライナ侵攻のせいなのか、彼女もよくわからないという。 「正直言って、ロシア料理と言ってもその大半はウクライナ料理で、私たちからみると、なぜいま両国が戦争しているのかよくわからない。ここ数年、私たちはウクライナ人であろうと、ロシア人であろうと、モンゴルに逃れてきた人たちは分け隔てなくサポートしてきたものです」(ニンジンさん) 2022年のロシアによるウクライナ侵攻は、これまで兄弟のような良好な関係とされていたモンゴルの人たちのロシアイメージに悪い影響を与えていると彼女は言うのである。