前田敦子、「性暴力と心の傷」という難題に挑む映画で…リアリティのある芝居はどう生まれたのか?
念願叶ってのタッグが実現した。『幼な子われらに生まれ』『ビブリア古書堂の事件手帖』で知られ、国内外の映画祭でも高い評価を得る三島有紀子監督が、「性暴力と心の傷」という難しいテーマに挑んだ新作『一月の声に歓びを刻め』(2月9日公開)。三つの島を舞台に“ある事件”と“れいこ”を探す心の旅が、3つのエピソードに分かれて描かれる。 【撮り下ろし】前田敦子の写真はコチラ トラウマを抱く女と偶然出会った男の2日間をモノクロームで綴るエピソードで、れいこを演じたのは前田敦子だ。実はかねてから熱烈オファーを受けていたという前田に、三島監督の丁寧な演出法や、共演した坂東龍汰の印象を語ってもらった。また、プライベートな一面として、5歳になる息子との“推し曲”も聞いた。
“不自然”が排除されていく、三島監督の演出法
<『一月の声に歓びを刻め』前田敦子出演パートあらすじ> 大阪・堂島。れいこはほんの数日前まで電話で話していた元恋⼈の葬儀に駆け付けるため、故郷を訪れた。茫然自失のまま歩いていると、橋から飛び降り自殺しようとする女性と出くわす。そのとき、「トト・モレッティ」というレンタル彼氏をしている男がれいこに声をかけた。過去のトラウマから誰にも触れることができなかったれいこは、そんな自分を変えるため、その男と⼀晩過ごすことを決意するのだが……。 (映画『一月の声に歓びを刻め』公式サイトより) ──前田さんを含めて役者陣の演技には無駄な装飾皆無。まるでドキュメンタリーのような質感でした。 三島監督がこの映画に求めていたのは、まさにそのような世界観でした。物語はれいこ(前田)という1人の女性が、トト・モレッティ(坂東龍汰)と名乗る青年と出会い、過去のトラウマを打ち明けていく様をモノクロ映像で映し出します。リアルと虚構の狭間のような物語ではありますが、三島監督の演出からは完全な絵空事にはしたくないという思いが伝わってきました。れいこは過去の出来事によって壮絶な傷を負っていますが、人間とは誰しも人に言えない悲しみや傷を抱えて生きているもの。三島監督から「れいこは決して特別な存在ではない」と指摘されたときに、れいこを演じる上で腑に落ちたところがありました。この作品は映画のマジックやスパイスを入れることで劇映画らしい作品に仕上がっていますが、それぞれの登場人物は日常から抜け出してきたかのようで、しっかりと現実を生きています。 ──どのような演出があって、そのリアリティは生まれたのですか? 撮影中は、れいこの感情に近いものを自分の中にある感情から選んで見つけ出していく作業の連続でした。三島監督は役を演じるために役者本人が当たり前に表現できる感情や動作を掴ませる演出をされる方で、演じる役と本人との距離を近づけてシンクロさせるために、何度も何度も練習させてくれます。役者の中から“不自然”が排除されて違和感なく役が体中に浸透した瞬間、初めてカメラを回します。そのような追及をされる監督なので、役者に対して自然にウソなく役に入り込めるきっかけを、たくさん与えてくれました。 ──しかし何度も練習を重ねることで、演技の鮮度が落ちてしまう危険性もありそうですが……。 それがとても絶妙な配分をしてくれていて「ここは決めどころだろう」と思うような大事な場面は瞬発的に終わったりします。私の最後の独白シーンは「とりあえずやってみましょうか?」という形でスムーズに始まりました。逆になんてことのない一言セリフの場面を何テイクも重ねたりました。この手法は私たち役者にとってはありがたいことで、重要ではなさそうなシーンでの積み重ねこそが、実は大事なシーンへと繋がる貴重な準備時間だったりするからです。毎シーン延々と粘るのではなく、ポイントを見極めてしっかりと役を掴ませてくれる。そのための段階もきちんと踏んでくれるんです。 ──効率化が優先される昨今の風潮において、稀有な演出家と言えそうですね。 本当にそうで、撮影現場の三島さんからは“ザ・映画監督”という雰囲気が滲み出ていて、このせわしない現代社会において数少なくなってきている演出家だと感じました。もちろん時間厳守ではありますが、そのタイムリミットの中で最大限にこだわり、粘り、役者と向き合う。私たち役者にとっては幸せな環境でした。