『八つ墓村』(77年版)横溝ブームに角川映画、時代の渦中で何が起きたのか?【そのとき映画は誕生した Vol.3 前編】
刑事コロンボvs金田一耕助
スクリーンから姿を消していた金田一耕助を、間接的に復活へ導いたのは、刑事コロンボだった。1974年10月頃、映画評論家の石上三登志が横溝を訪ね、当時話題になっていたTV映画『刑事コロンボ』と金田一耕助をテーマにした対談が行われた。これは、髪がもじゃもじゃで、よれたコートをまとい、風采が上がらないコロンボが金田一に似ていることから、横溝にコロンボを語ってもらおうという企画である。石上は怪奇映画、ミステリー映画に精通した映画評論家であり、『刑事コロンボ』のノベライゼーションの執筆も行っていたが、電通に勤務するCMプランナーの顔も持っていた。 「私は『広告』が本業で、それでメディアの変化に関して敏感だったから、色々紹介し、論じ……この辺りが他の映画評論家と違うところ。正直、かなりヘンな評論家だったと思う」(『石上三登志スクラップブック 日本映画ミステリ劇場』) と、自他ともに認める同時代の映画評論家と一線を画した存在だった石上は、『東京新聞』でコラムを書いていたときに、文化部の担当記者である横溝亮一が正史の長男であることを知る。亮一は、石上の探偵小説への博識ぶりを見て、今はほとんど誰も父に会いに来ないから、話相手になってくれと頼む。とはいえ、石上としても用もないのに訪ねるわけにはいかず、『刑事コロンボ』のノベライゼーション掲載の対談という名目を立てて、横溝を訪ねることにした。対談では、コロンボと金田一の共通点にとどまらず、〈探偵小説の映像化〉という視点からも示唆に富む発言が見られるが、そのなかで石上は、今後の横溝作品の映画化という話題を持ち出している。 石上 金田一耕助の映画は以前あったんですが、最近映画化の話はないんですか。 横溝 ないですね。 石上 僕がもし、これは夢なんですが、もし映画監督だったらぜひ「獄門島」を映画にしてみたいと思ってるんです(笑)。 横溝 ああそうですか(笑)。 石上 以前のは、片岡千恵蔵の扮する金田一耕助が、拳銃片手に登場しましたが(笑)……あれはやっぱりコロンボみたいな俳優のほうが……。 (『刑事コロンボ(11)/別れのワイン』二見書房、『新版 横溝正史全集(18) 探偵小説昔話』講談社、『横溝正史の世界』徳間書店) コロンボ=金田一説を殊更に強調しているのは、当時は海外のヒット作が生まれると、直ちに日本版が企画されていたからである。ブルース・リー、パニック映画ブームが日本映画にも飛び火したように、コロンボの人気にあやかって、日本版を作ろうとするプロデューサーがいても不思議ではない。そのとき、最右翼にいるのが金田一耕助であることを石上は強調しているのだ。石上の発言が、どれほどの影響力を持っていたかを高く見積もる必要はないだろうが、対談の半年後、『本陣殺人事件』『八つ墓村』の映画化が始動したことは記しておく必要があるだろう。 この数年後、『戦国自衛隊』(角川文庫)の巻末解説で石上は映画化待望論を記し、それが映画『戦国自衛隊』(79)が実現する一翼を担った事実を踏まえれば、石上が後年、「横溝作品の映像的復帰には、コロンボの力を借りてほんのわずかながらも手助けできたという気がしないでもない」(『FLIX DELUXE』94年冬号)と自らに下した評価は妥当なところではないだろうか。 もうひとつ、石上と横溝が対談した翌月に、アメリカとイギリスで絢爛豪華なミステリ大作が公開された点も付け加えるべきだろう。アガサ・クリスティ原作の『オリエント急行殺人事件』(74)である。潤沢な予算をかけた、オールスターキャストによるミステリ大作は、1975年5月に日本でも公開され、そのフォーマットが、やがて角川映画の第1作になった『犬神家の一族』へと受け継がれていくことになる。