「犬釘」をご存じですか?…鉄道黎明期から「列車の安全」を支えた働き者の姿
犬釘をご存じですか
鉄道黎明期から、列車の安全走行を支えてきた働き者の“犬”がいることをご存知だろうか? 【写真】犬釘って見たことありますか? 列車が安全に走るためには、その足元のレールがしっかりと敷設されていなければならない。そのためには、レールと枕木が強固に固定されていることが絶対条件。その大役を担ったのが、L字型の釘だ。 「軌条を定着セシムル為、軌条ニ密着シテ枕木ニ打チ込ム大釘」。明治32年6月に発行された『英和対訳鉄道字辯』にはこう明記されている。その釘の頭部を横から見ると、まるで犬の頭のように見える「犬頭状大釘」。 欧米でも「Dog Spike」と呼ばれていた。つまり「犬釘」だ。 明治期に輸入されたものには犬の彫刻も施されていたという。消耗品のため現存するものは数少ないが、九州鉄道記念館で保存されている明治時代に使われていた犬釘(写真1)をみると、口先の厚みがあり、折り曲げられた耳も付いていて、当時のちょっとした遊び心が感じられる。 現在の犬釘にはもちろん耳もなく、少し押しつぶされた楕円形で、打ち込まれる頭頂部が皿のようなになっていて、見ようによっては民話の世界に登場する「河童」に似ていなくもない。 そしてこの頭部のでっぱりの下を「顎」と呼ぶ。この顎をレールの底部に引っ掛けて、レールの内外両側から「ハ」の字形に枕木に打ち込むことで、レールを枕木に固定させる。かつては新しい路線の開通式などで、金メッキした最後の1本を来賓が枕木に打ち込むことで「路線が完成した」とされる儀式が行われたこともある。この金メッキ犬釘は「ゴールデン スパイク」と呼ばれた。 私たちがふだんよく目にする釘は「洋釘」と呼ばれるもので、明治以降に外国から伝えられた釘である。『鉄鋼新聞』によると、日本ではそれ以前から胴部が四角柱状の「和釘」と呼ばれる釘が造られていた。 今では神社仏閣や城郭などの古建築物の修繕にしか使われていない和釘だが、犬釘もその形状からすると和釘の一種とされている。ちなみに同紙によると、洋釘は和釘より小さいことや胴部が丸いことから当初は敬遠されていたが、1880(明治13)年の京浜地区の大暴風や翌年の東京・神田柳町の大火による家屋の復旧で釘需要が急増したことから一挙に普及したという。 現在、全国でも珍しい、路線の全線で犬釘を使用しているのが群馬県内を走る上信電鉄。同社によると、犬釘は7~8年で新品と交換するという。「特に遠心力が働くカーブ外側の犬釘は横からの力が加わり『顎が食われる(削られる)』ので寿命が短くなる」(同社)とか。 長年にわたる車輪による横からの圧力を受け続けていると、レールが傾き、片方が持ち上げられ犬釘が引き抜かれることも起こり得るので、保守点検時に発見すると打ち込み直すことになる。 犬釘とセットになっているのが木製の枕木だ。レールの左右の間隔を固定し、車両重量を分散させる大役を担っている。鉄道開業時には枕木は木ではなく石材を使用することも検討されたが、費用上の問題や国内には豊富な木材資源があったことなどから「枕石」ではなく「枕木」となった。 古くは、材質が腐りにくくて固いクリやヒノキが使われていたが、原木不足やコスト高からブナやナラ、カエデなどが多用されてきた。もっとも近年はマレーシア産の輸入木材・ケンパスが主流となっている。 また昨年、積水化学工業は、ガラス長繊維で強化した硬質ウレタン発泡体「合成木材・FFU」の生産工場をオランダに設けるなど、コストや耐久性、素材の調達面などから新しい枕木が産まれつつある。 世界的にみると枕木の市場は木材が80%近くを占め圧倒的に多く、コンクリートが約15%とされているが、日本国内で木製の枕木が占める割合は年々減少し30%を下回っている。そのため最盛期には約50社あった枕木業者も今は5分の1程度まで減少している。 木材より耐久性に優れた枕木の開発や、ボルトでの固定が一般的なコンクリート製、コンクリートの板にレールを固定したスラブ軌道など枕木の多様化で、働き者の“犬”も姿を消しつつある。
飯田 守(フリーライター)