歌舞伎町で遊び、デビューで大ヒット連発、6年間干されるも再ブレーク――SAMとDJ KOOが振り返る青春時代とTRFの30年 #ニュースその後
どうしたらいいですか、と誰かが聞くと、小室はいつも「任せるよ」と答えたという。 SAM「試しに『ボーカルのYU-KIちゃんを、ダンサーの後ろに置いてもいいですか』って言ったら、小室さんは『いいよ』って。初期は、KOOちゃんを含めてDJの二人と、キーボードの小室さんが並んで、YU-KIちゃんのお立ち台をつくり、その前の広いエリアで僕らが踊る。これだったらバックダンサーじゃないよねって、とんちみたいな(笑)。無理やりそんなつくりにしたんですけど、今思えば、ちょっと面白いですよね」 小室に集められた才能はそれぞれ化学反応を起こし、どのチームも1990年代を象徴する存在となっていく。trfの絶頂期も、目が回るほどの忙しさだった。 DJ KOO「trfもH Jungle With tもやった95年の大晦日が、人生の最高の忙しさだったと思います。紅白、レコ大、ディスコ『ヴェルファーレ』でのカウントダウンイベントもあって。3、4カ所ぐらいを1日で2往復、3往復。小室さんも動線を全力で走って、その後を追いました。本気で走る小室さんを初めて見ました、意外に速かった(笑)」 SAM「忙しいというよりも、楽しかったですね。仕事終わりに、僕らは毎晩クラブに行ってて、朝まで飲んで、そのまま本番に行くみたいな。マーク(・パンサー)と一緒に飲んでて、そこへ小室さんやX JAPANのYOSHIKIが来て、『今日はまたMステだね』(笑)。もうそのままベロベロでみんな会場に入ったり」
セルフプロデュース期、見事に干された
trfは1996年に「TRF」となり、1997年には1年間活動を休止。事務所は「大人っぽくイメージチェンジ」し、再ブレークを狙ったが、本人たちには違和感があったという。セルフプロデュースを模索し、ヒットも出したが、小室哲哉という絶対的なプロデューサーの不在は大きく影響した。 DJ KOO「TRFらしさって、何なのか。それイコール小室サウンドなのか、どういうことなのか? 分からなくなって、葛藤しましたよね。だから、その活動休止の時には、もう一度クラブDJという自分の原点に戻ろうと思った。リアルにお客さんを踊らせること、クラブで流れている音楽を自分の肌で吸収すること」 SAM「セルフプロデュースになって、98年、99年はロングツアーとかやったりもしたんですけど、そこから先6年間ぐらい干されるんですよ。干されたね、見事にね」 DJ KOO「なかなかね……そこは」