西尾幹二氏、日本の危険に警鐘鳴らす「カナリア」 誇り奪う自虐史観と戦う
「炭坑のカナリア」という言葉がある。炭坑入り行列の先頭で、ガス漏れを知らせるカナリアのように、いち早く危険を知らせるものを指す。冷戦期には、戦争などの危険を知らせるカナリアの役割を担うのが、文学者らだという文脈でよく使われていた。故人は日本にとっての「カナリア」でなかったか。警鐘を鳴らしたのは、日本という国家、あるいは民族を衰弱させ、溶かしてしまうような危険である。 たとえば、日本を不当に貶める自虐史観である。故人が「新しい歴史教科書をつくる会」(平成9年)を立ち上げた当時、中学生向けのすべての教科書に「従軍慰安婦」が掲載され、日本軍が30万人を殺害したという「南京大虐殺」の記述が大手を振るっていた。 こうした自虐史観が、日本人の誇りを奪うものであることは言をまたない。先の大戦は日本が悪かったという思いは、国防にも悪影響を与える。 歴史教科書の不当な自虐的記述は現在ではずいぶんと減った。間違いなく、つくる会の活動の成果である。 安易な「移民」の受け入れにも反対だった。80年代、労働力不足解消という目的を隠し、「日本の労働市場を開放し、発展途上国の民生と経済に役立たせる」というヒューマニズムで語られていた移民問題に、いち早く反対の声を上げた。 情報収集に熱心で、さまざまな識者を招いての勉強会も病を得るまで続けた。そんな姿勢が「カナリア」のような鋭敏さの秘訣だったかもしれない。なお、名誉のため、付け加えておきたい。「カナリア」のようなか弱さとは無縁で、エネルギッシュな人だった。(大阪正論室参与 小島新一)