「平等」な社会のための遺伝学
ゲノムの違いに目をつぶってはいけない
著者が本書を記したきっかけや本書に込めた思いはどのようなものか。国際ジャーナリストの大野和基氏が聞いた。 ――私は、社会的平等を考えるにあたって遺伝子は重要であるというあなたの主張に賛同しますが、たとえ私が遺伝学を専門とする科学者であっても、平等という角度からそれを探求する勇気はありません。なぜなら最も物議を醸す研究分野だからです。 これまで科学者たちは差別主義者であると非難されるのを恐れて、人種、知能、教育の遺伝的側面をタブー視してきました。であるにもかかわらず、あなたが教育や知能や社会的平等との関連で遺伝を深く研究したいと思った契機は何でしょうか? 科学分野での私の最初の仕事は、動物を使って遺伝学の研究を行うラボのリサーチ・アシスタントでした。薬物中毒の研究において、中毒のリスクが人によって異なることは比較的穏当なテーマだったので、マウスの遺伝的バリアント(複数ある遺伝子のバージョン)がアヘン中毒にどのような違いを生むかについて、ウイルス・ベクター(遺伝子治療などで遺伝子を体内の細胞に安全に運ぶものとして使われる組み換えウイルス)を使ってマウスの遺伝子を操作し、研究していました。 その後、博士課程に進み、臨床心理学で博士号を取ったのですが、青春期の発達の相違が中毒リスクを含む後の人生に大きな相違を生じさせることから、どのような人が大学に行くのか、刑務所に入るのか、10代で母親になるのか、高校をドロップアウトするのか、ということに関心が広がりました。これらが小さいときの経験に関係していることは明らかですが、遺伝子の差異にも関係しているという考えが、私の思考の基礎になっています。このような経緯で、最終的に私の研究は遺伝子が個々の違いをいかに生じさせるかという、より広いものになりました。 この本を危険であると言う人は、私が優生学的なナラティブを醸成していると勘違いしているのだと思いますが、遺伝学を優生学に結び付けて危険なテーマだからと避けることは、学校で性教育をしないことと同じで、重要なことに目をつぶっています。 英語には“The apple doesn’t fall far from the tree.”(リンゴは木からさほど遠いところには落ちない。つまり子は親に似るという意味)という表現があるように、我々は親と似ている部分や似ていない部分を観察しながら生きています。そのことを説明するのにfolk theory(通俗理論)を使うことも多いですが、正確な情報は科学者からしか得られません。このことがずっと気になっていました。科学者が遺伝について正確な情報を提供しなければ、我々はゲノムの違いが社会的不平に影響を与えていたとしても、遺伝は自分でどうすることもできないのでゲノムの違いは重要ではない、というふりをし続けることができてしまうからです。私はゲノムの違いに目をつぶってはいけないという意味で、ゲノムブラインドネスの問題について本書で書きました。科学者には、遺伝についてpublic conversation(公の場での会話・対話)に貢献する重要な役割があると私は信じています。 確かにいろいろな人から、このようなセンシティブなテーマについて本を執筆したことについて、「勇気があるね」と言われます。最初は学術論文を書く予定でした。民間のジョン・テンプルトン財団から助成金をもらい、科学と宗教と哲学の交差点に位置するビッグ・クエスチョンをテーマに哲学者と科学者とでチームを組んで論文を書き始めたところ、プリンストン大学出版局の編集者から本として刊行することを打診されたのです。同僚が大学の授業のテキストとして使ってくれたらいいなという気持ちだったので、まさかジャーナリストが東京からテキサスまでやって来て、インタビューをされるとは夢にも思いませんでした。ですから、私自身はこの本を書く勇気ではなく、特権を与えられたと考えています。